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フランスの雑誌の記事 「グローバル化」 その2

 昨日の続きです。


昨日見た部分では、20世紀後半に台頭してきた非西欧先進国と、第三世界にとどまり続けた旧植民地の境遇の違いには、植民政策を行ってきたヨーロッパにも責任があるのではないか、と論じていましたね。


この後、記事は、日本の重要性の増加、新興工業国の台頭、特に中国のめざましい発展に触れ、西欧が経済的に残りの世界に遅れを取っていた時代を思い出させる、としています。


  確かに、昔学校で習った世界史でも、中国が大きな文明を築いていた頃に、ヨーロッパはまだ野蛮だったようですし、ローマ帝国が出来た頃も、文化はオリエントのほうが高度であったと聞いています。

  そしてその後中国の航海士、鄭和が出てきます。フランス語ではZheng He と書いてありましたが、これが鄭和だと分かるまでにちょっと手間取りました・・・。漢字圏外の言語で中国語に出会うと話が通じず困るのはいつものことですけどね。


  鄭和についての囲み記事があり、イラスト入りで、コロンブスよりずっと大きくて立派な船でコロンブスより60年ほど早く、ケニヤやモザンビークまで探検に出ていた、とあります。この鄭和、確か高校の歴史の教科書に出てきていたような気がします。バスコ・ダ・ガマ、マゼラン、コロンブスは航路図まで出ていて、丁寧に説明されていましたが、この人は名前が1回出ただけ、という程度の扱いでした。今の教科書はもっと違う扱い方をしているのかもしれませんね。


さて記事から引用します。以下、いつものように、青字は原文、緑字は拙訳、黒字は私です。



  Les Européens n’avaient pas été les seuls à se lancer dans des aventures maritimes au très long cours au début du XVe siècle. La situation, dans l’ensemble de l’ancien Monde, créait en effet un besoin de nouvelles routes. Un siècle auparavant, l’Empire mongol, en transformant un temps la route de la soie en une immense construction politique, avait fait exploser les échanges de la méditerranée au Japon en passant par l’Insulinde, pour le meilleur (papier, imprimerie…) ou pour le pire (peste noire, poudre à canon…). L’effondrement de cet ensemble trop immense avait fractionné les routes de l’Ancien Monde, mais laissé des connaissances du lointain (Marco Polo) et des demandes devenues insatisfaites (les épices pour les Occidentaux).


 ヨーロッパ人だけが、15世紀始め大航海の冒険に出たわけではない。その頃の旧世界の状況は新しいルートを必要としていた。一世紀前にモンゴル帝国はシルクロードを巨大な政治的建造物に変え、地中海から東南アジアを経て、日本に至るまでの交流を、良い点でも(紙、印刷・・・)悪い点でも(黒死病、火薬・・・)、爆発的に発展させた。この巨大な組織の崩壊は、旧世界のルートを細切れにしたが、遠方についての知識(マルコ・ポーロ)と満たされることのない欲求(西欧人にとっては香辛料)とを残した。


 こういう話を聞くと、遠方まで赴いた冒険家たちも、ロマンや好奇心ではなく、利益を求める気持ちがあったんだな、と思い、やや安心します。人間、危険を冒して遠くまで行くのに、何らかの報酬を求めて普通のような気がするからです。儲かりそうだからやる、というのが大航海時代の根本ではないのでしょうかねー。


 その後記事は、日本の漁師たちがアラスカ沿岸を航海していた、など、その後のルートの開発がヨーロッパ人だけでなされていたのではなかったことに触れています。しかしアメリカ大陸は、思いのほか簡単にヨーロッパ人に征服されてしまいます。これはアメリカ大陸の住民が、当時のユーラシア大陸の病原菌に免疫がなく、病に倒れて抵抗できなかったかららしいです。ヨーロッパはアメリカ大陸を経済的にも軍事的にも支配したわけですが、その他の地域、つまり、アフリカ、インド、中国、日本は、18世紀にようやく貿易の窓口を持ったのみで、国内の商業に入り込むことはできなかったということです。しかし、このヨーロッパのアメリカ大陸の征服により、世界中に現金取引が導入され、アメリカ大陸の金銀がヨーロッパ経由でアジアに来るようになりました。このヨーロッパはこの現金取引のシステムの中で、経済的に優位な地位を築いた、とあります。


     S’il n’est donc pas excessif de mettre en relation colonisation et révolution industrielle au centre du système, il est prudent de distinguer deux phrases : globalement, jusqu’au milieu de XVIIIe siècle, c’est l’exploitation de ses périphéries qui donne progressivement l’avantage à l’Europe ; puis c’est l’avance acquise par les colonisateurs qui leur permet, durant quelques décennies, de s’offrir une grande partie du Monde. Les moyens démographiques, militaires et économiques des Occidentaux, entre 1850-1930 environ, représentent un tel différentiel par rapport aux autres sociétés qu’ils ont pu construire une vision du Monde dans laquelle ils représentent la formes la plus avancée d’un progrès linéaire, destiné à se répandre à toute l’humanité.


 植民地化と産業革命を関連付けることが行き過ぎではないとしても、二つの局面に区別したほうが賢明だろう。18世紀までの時代、周辺地域の開発が徐々にヨーロッパを有利にしていった時代と、他をリードして進んでいたために数十年に渡って世界の大部分を手に入れることが出来た時代の二つである。1850年から1930年に間のヨーロッパは人口的にも、軍事的にも、経済的にも、他の社会とはかけ離れていたたため、ヨーロッパは世界のビジョンを打ち立てることが出来た。そのビジョンの中で、最も進歩した形態で、全人類に広まるために用意された形態をヨーロッパが体現したのである。


  では長くなってきたので、今日はこの辺で終わります。この記事、続きます。






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Author:まゆの
フランスに住み始めて早16年。フランス語に限らず語学や語学学習にはいつも関心を持っています。フランス生活についても、個人的な視点で書いていこうと思っています。家族はフランス人の夫プー、長女のえ(12歳)、長男チッチ(8歳)次女奈々(4歳)の5人、プラス2007年8月23日から飼い始めたうさぎのクッキー。

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