今日はポンピドゥー・センターの最終回です。今日はこの作品。
かなり大きな作品で、それなりの広さのある部屋の真ん中を飛んでいるように、吊り下がっている飛行機です。まず大きいのでインパクトがありました。
後ろからみるとこんな感じです。
木と竹で出来ていて、電球が中で光っています。翼の下にあるプロペラは小型扇風機で、回っていて風が出ています。白いリボンが飛行機雲を表しているのでしょうか、プロペラからつながっており、風で揺れていました。
大きくて、人目を引きますし、なんだか工作っぽい感じの素材です。どうしてこれを作ったんだろう、と思って解説を読みました。ちょっとピントがぼけていますが、興味のある方は拡大してご覧下さい。

Cai Guo-Qiang の1957 年の作品でBon Voyage:10000 collectables form the airport 2004(よい旅を、。2004年の空港の徴収品1万点)と題されています。
題名を見てからもう一度作品を見直して、やっと飛行機にたくさんついているいろんな色の光るものは、はさみやペーパーナイフであることに気が付きました。

「これは空港で取り上げられたはさみなんだって。」と言ったらチッチが「僕のはあるかな。」と真剣な眼差しで探し始めました。解説にサンパウロの空港、と書いてあったので「チッチのはないよ。」と説明しました。
チッチは今年、日本からの帰りの飛行機に乗るときに、日本の空港のセキュリティーチェックで呼び止められ、別の場所に連れられ、機内持ち込みのかばんを開けられて、中に入っていた子供用のはさみを取り上げられました。「あとで返してくれるの?」と聞いていましたが、チッチのはさみは、他のいろいろなはさみやカッターなどと一緒に透明なプラスチックの箱に入れられ、もう返すことは出来ない、と言われました。「悪いこと、しないよ。」と涙を目に溜めてつぶやいていましたが、規則ですから仕方がありません。
この飛行機のはさみを見ながら、その時のことを思い出したのでしょう。熱心に飛行機に突き刺さっているはさみを見て、「子供のもある。」とか言っていました。
チッチのような子供や善良な人がうっかり入れたはさみやペーパーナイフの類が、世界中の空港で取り上げられて捨てられているのか・・・、と思うと実に馬鹿げた世の中のような気がします。
解説では「狂気に陥った世界の名残」という言葉が使われています。解説は、この作品は現代の不安定で不条理な世界、どこからでも敵が現れ、武器は我々自身のポケットにある、という世界を象徴している、としています。そしてこんな馬鹿げたことでもしないと、旅行も、生き残ることも出来ない、という私たちの状況を皮肉っているのでしょう。
解説の最後には「この作品は、中国の先祖伝来の神話と現代の出来事を同時に取り入れている。」と書かれています。中国の神話とこの作品がどのように関連しているのかは私には分かりませんでしたが、木と竹という素材が西洋人にとってはアジアを彷彿とさせるでしょうし、空洞になった内部に電球があって吊り下がっている、というところがどこか提灯のようです。光が強ければ爆発を連想させるかと思いますが、それほど強い光ではなく飛行機全体がランプのように光る感じでした。お盆の提灯のような感じで、亡くなった人々への供養か、とか、それともこれも馬鹿々々しさに一役買っているのか、とかいろいろ考えてしまいました。
この作品は素材ののんきさや大きさ、ぼってりした飛行機の形など、一見、どこかユーモラスな面もあります。しかしよく見ると、おびただしい数の刃物が突き刺さっている・・・。遠目に見たのどかさとはまったく逆の印象です。そしてそれが現代の生活への疑問や皮肉を放っているという、なかなか深い作品なのでした。しかもアジアの伝統まで混ぜるとは・・・。
今回、子供と出かけた近代美術館で見た、印象に残った作品の一つとなりました。
いろいろと考えさせられる現代アートって面白いですね。
Author:まゆの
フランスに住み始めて早16年。フランス語に限らず語学や語学学習にはいつも関心を持っています。フランス生活についても、個人的な視点で書いていこうと思っています。家族はフランス人の夫プー、長女のえ(12歳)、長男チッチ(8歳)次女奈々(4歳)の5人、プラス2007年8月23日から飼い始めたうさぎのクッキー。
美術鑑賞と云うと普段は絵画ばかりですが、現代美術だけは絵より立体作品の方が取っ付きやすい気がします。