さてグラン・トリアノンを出たあとはプチ・トリアノンまで歩きました。
今日は写真が多いですよ。きれいなところが多くてついつい写真をたくさん撮ってしまったからです。
これがマリー・アントワネットが一目見て気に入ったと言うプチ・トリアノンです。
前にも来たことがあるのですが、「こんなに小さいのか。」と改めて思いました。
威圧感のある仰々しいお城の建物に比べて、随分小さくこじんまりとしていますね。お城の庭園はいかにも手入れが行き届いた人工的な感じですが、ここの庭は簡素で、自然な感じです。
公的生活とは対照的な家庭的な雰囲気ですね。
もともとはルイ15世の愛妾だったマダム・ド・ポンパドゥールが王の退屈しのぎのために建てさせたそうで、当時の流行を取り入れた建築様式の建物に、科学好きな王の趣味に合わせて植物園などを併設させたということですが、マダム・ドゥ・ポンパドゥールはプチ・トリアノンの完成を見ることなく亡くなり、今ではその後の王妃マリー・アントワネットの名残を多く留めています。
私がお城のブティックで買ったガイドブックによると、ルイ14世の時代に決められた、国王の一日を形作る様々な儀式、式典はルイ16世の時代までなんら変更されることなく、形式的なものにせよ続いたそうです。
ルイ15世は曽祖父にあたるルイ14世の遺志を受け継ぎ、城の建造を進め、ルイ14世の国王としての日常の習慣も継承したそうですが、私生活も重視し、トリアノンでの家族や親しい者と少人数で過ごす私的な時間のための投資も惜しまない人でした。
ルイ16世とその妃マリー・アントワネットの時代になると、国王も王妃もプチ・トリアノンの私的スペースで過ごす時間がますます多くなり、ヴェルサイユの公式のお城で政務に就くことが少なくなり、それにつれて、貴族も国王不在のヴェルサイユから足が遠のいていき、王室は国民の信頼を失っていきました。
ルイ14世時代に定められた儀式などは、ルイ16世の時代の感性にはもう古臭いものに移ったのかもしれません。そしてルイ16世も王妃マリー・アントワネットも国を司る国王という立場にはふさわしくない人たちだったのかもしれません。
国王一家がプチ・トリアノンの入りびたりになったのには、面倒な政務から逃れたい、お城の堅苦しい雰囲気が嫌だ、ということ以外にも、プチ・トリアノンが実際気持ちのいい場所だということもあったと思います。
プチ・トリアノンの庭はご覧のように自然で、散歩に適しています。そして所々に小さな建物あって足を休めることが出来ます。
上の写真はLe Belvédère見晴台です。小さな建物ですがここで音楽の演奏なども行われていたそうです。見晴台の左手には見えにくいですが、マリー・アントワネットがわざわざ作らせた人工の、岩の上から清水が流れる庭園の装飾があります。(大変楽しみにして頻繁に工事を見に行っていたそうですが、これを造るのに莫大な費用がかかったのではないでしょうか。)
下は見晴台からの眺めです。プチ・トリアノンが向こうに見えます。のどかな風景ですね。
プチ・トリアノンを後にして、また歩くとやっとHameau de la Reine (女王の村)に出ます。マリー・アントワネットが作らせた田園風景の集落です。もうここはお城からはかなり遠く離れています。
こんな案内板がありました。説明を読んだ長女が「すごいよ。写真を撮っておこうよ。」と言ったので撮りました。興味のあるかたはクリックして拡大して読んでみてください。
この説明を読んで知ったのですが、遊び好きの王妃の贅沢としてとかく非難の的となっているこの人工の農村ですが、ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という思想に影響を受けて建造されたということです。田舎の生活が子供の教育上好ましい、という親心からしたことだったわけですが、これでますます政務を離れることとなり、王妃の浪費と思われさらに国民の信頼を失うことになったのですね。
ルソーらの啓蒙思想がフランス革命に影響を与えた、と昔学校で習いましたが、王妃もルソーの影響を受けていたとは、別の意味でも革命に影響を与えていたということですね。
説明によるとノルマンディーの村を模して12軒の建物があり、うち5軒は王室一家とその招待客用で、4軒には本物の農夫が住み、1軒は王妃やそのお客に出す料理を用意する召使専用、そしてTour de Marlboroughと呼ばれる塔があります。Marlboroughというのはルイ16世とマリー・アントワネットの息子である王太子のことだそうです。
・・・と解説されてるんですが、これじゃ11軒しかないんですけど。まあいいか・・・。
こちらが王妃の家。粗末な田舎屋と言ってもやっぱり立派ですね。

こちらは王妃のチーズ小屋の内部。ここでチーズを作っていたそうですが、本当にマリー・アントワネットが作っていたのでしょうか。簡素でなんの装飾もありません。当時もこうだったのでしょうか。

こちらが、マルボルーの塔です。ここから釣りや舟遊びの船が発着していました。ちょうど虹が出てきれいでした。

ヴェルサイユ見学の中で、子供が一番喜んだのは、この王妃の村でした。田園生活が子供の教育に良いというルソーの説は、本当かもしれませんね。華麗でも重苦しい装飾過剰のお城より、自由にのびのび過ごせる田舎風のこちらがほうが子供は楽しいのですね。
マリー・アントワネットもオーストリアでのびのび過ごした子供時代を思い出すと言って、ここを好んだそうです。
Author:まゆの
フランスに住み始めて早16年。フランス語に限らず語学や語学学習にはいつも関心を持っています。フランス生活についても、個人的な視点で書いていこうと思っています。家族はフランス人の夫プー、長女のえ(12歳)、長男チッチ(8歳)次女奈々(4歳)の5人、プラス2007年8月23日から飼い始めたうさぎのクッキー。
Hameau de la Reineの農家は以前私が行ったときは外からしか見学できませんでしたが、映画の後で、中も見学できるように改装されたとも・・・
どの家も、中に入って見られるようになったのでしょうか?
王妃はルソーに感化されて田舎暮らしの真似事をしたり、プチ・トリアノンで権力者を批判したモーツァルトの『セヴィリアの理髪師』を上演したりと、流行の最先端を追って楽しんでいたことが、自分たちの首を絞めるとは思っていなかったのでしょうね。
革命が起きたときは、国王の権力が小さくなると自分たちに有利だと考えた貴族が革命側に加担し、結局は国王だけでなく貴族も権力ばかりか時には命さえ失うことになったという非情な歴史。
後の世の視点で見れば愚かに見えますが、最中にいる人はその時点で自分が良いと思ったことしか出来ないのでしょうね。
ところで、まゆのさまはヴェルサイユでご宿泊になったのですか?(いえ、宮殿にではなく、街に。)
私は一度、トリ〇ノン・パレス・ホテル(一応伏字で;;)に泊まったのですが、ちょっと怖い経験をしました。
旅行社の手違いで、折角のパレス・ホテルなのに豪華な部屋ではなく、普段は使っていない様子の屋根裏の小さな部屋に泊まる羽目になりました。
その夜、暴風雨になり、窓が雨戸ごとバタン!!と開いてしまうのです。
何度雨戸と窓を閉め、鍵をしっかりかけても、しばらくするとバターン!!と。
眠かったのと旅行社のミスに腹が立っていたのとで、寝ぼけ眼で怒りながら何度も起き出して窓を閉めました。
でも、朝、確認してみると、雨風で開くような窓ではなく・・・
後から、このホテルには〈・・・出る〉部屋があると聞き、ぞ〜〜〜っとしました。
歴史のある場所・建物って、長い年月の中でいろんなことがあっただろうと思うと、怖くなることがありますね;;