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チッチの研修先、決まる その後

 さて、こうして研修先が決まったチッチですが、その後、履歴書と志望動機の手紙を提出した企業数社から連絡がありました。チッチが親しみを感じていた家具の工房からはチッチ宛にメールが来て、残念ながら同時期に他の研修生がいるので受け入れできない、という説明の後、励ましのメッセージがありました。そこでチッチは研修が決まったことを伝える返信をしました。研修が決まった翌日の朝、大会社なので尻込みしていた会社から電話で連絡がありました。電話に出たのは長女のえで、「研修生として受け入れますので必要事項をメールで連絡します。必要書類を提出してください」と言われたそうで、研修が決まったことをその場で伝えればよかったのですが、チッチ本人から連絡した方がいいと思ったそうで、「ありがとうございます。伝えておきます。」と言っていました。

 金属製品の製造メーカーなのですが、チッチ宛にメールが来て、溶接部門に配属、直属の上司はムッシュー誰々、と書いてあり、配属先の手配までしてくださり、余計な手間をかけさせてしまった、と反省しました。そしてチッチと「こんな立派そうなところはダメだ、とか言ってたけど、受け入れてもらえたじゃない。やっぱりやってみなきゃ分からないことってあるよね。」などと話し合いました。私は明日連絡する、という話は単にその場で断るのを避けるための方策と思ったのですが、違っていました。チッチは丁寧に返信したほうがいいから、と言って夫に書いたメールを見てもらっていました。とても中学生が書いたとは思えないメールになってしまい、かえって親が全部やっているみたいな印象を与えてしまうかも、と思ったのですが、チッチはそのメールを送りました。

 チッチが学校に行っている間に、もう一社から電話がありました。「息子さんが昨日弊社に研修の依頼に来たのですが、うちは本当に小さい会社なので満足な研修はできないと思うんです。そういうことですから申し訳ありませんけど・・・」というお話でした。そこで連絡してくださったお礼を言って研修先が決まったことを伝えたら、喜んでくださったようでした。「うちの事業内容に合わせて書いた手紙で、宛先として社名がきちんと入っていたので、このような手紙にはやはりきちんとこちらから連絡した方が良いと思いまして。」とおっしゃい、責任者と言ってもまだ若い方のようでしたが誠実なお人柄が伺えました。

 無事に研修先が決まったこともそうですが、受け入れていただけなかった企業からも、子供だからと邪険に扱われることもなくきちんと対応していただき、世間は努力する若者を温かく迎えてくれる、ということを肌で感じました。チッチにもこういう機会がなければ知らない企業を訪問することもなかったでしょうから良い経験になったと思います。


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チッチの企業研修先、決まる (その3)

 さて、車で回りながら、「ここはお店だから違う。」「ここは運送会社、ここはレンタカー」と言う具合に見ていき、良さそうな会社があったら名前をチッチが書き取ります。社名や看板から事業内容が分かるところもありますが、見ただけでは何をやっているのか分からないところもあります。そういうものも一応メモするように言いました。そして帰ってから一社一社、電話帳やサイトから事業内容を見ていきました。その中から興味がある数社を選び、それについてまた志望動機の手紙を書かせました。昨日やったので今度はスムーズで、サイトの内容から判断して前に書いた手紙を書き換えていました。

 翌日は私の仕事が夕方から入っておりあまり時間がありませんでしたが、できるところまで回ろうと言ってでかけました。1社めは結構大きい会社。チッチは前に行った大きい会社が冷たい感じだったので、ちょっと尻込みしています。「大きいものを作っていたら場所が大きいのは普通よ。見た目の大きさと会社の規模は別よ。」と言ってみたんですが、「駐車場が大きくて車が多く止まっている。」と指摘するチッチ。確かに社員数が多そうです。でもここまで来たんですから「大きいなら大きいでいいじゃない。さっさとやることをやっておいで。」と言って送り出しました。待ちながら建物を見ると確かに大きな建物がいくつかあり、隣の敷地に倉庫らしきものもあります。トタン板などの金属製品の製造加工の工場でした。チッチはすぐ戻ってきて「渡してきた。明日の朝、結果を電話してくれるって」と言いました。その場で断らずにワンクッションおいて電話で断るパターンが見え見えですが、気にすることはありません。「よし、じゃあ、次!」と次に行きました。昨日下見をしたのでチッチが場所を覚えているのでスムーズに2軒回って履歴書を渡し、次のところに行ったら会社が移転していました。昨日は暗くて外の看板しか見ていなかったのです。移転先をチッチがメモして戻ってきましたが、ちょっと遠いから今日は無理ということで次に。次の会社は外に車を止めるところがなかったので駐車場に車を入れて、私は仕事の書類を見ながら待っていると、チッチが誰かに付添われて出てきて別の建物に入って行くのが見え、これは上手く行くかな、と思いました。断るなら時間をかけないはずですよね。そして私が目を上げたときにたまたま建物の入り口から女の人が顔を出し、私の方をちらっと見てまたドアの向こうに消えました。その後、チッチが同意書らしきものを手に持って、最初の建物に戻っていくのが見えました。「お、いよいよ、決まったかな」と期待が高まりました。 

 

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チッチの企業研修先、決まる (その2)

 月曜日は学校が3時に終わるのでチャンスとばかり選んだ6社を一軒ずつ回り始めました。私は外に車を止めて待ち、チッチは履歴書、志望動機の手紙、受け入れてくれる場合の同意の書類(学校に提出するものです。)を書類かばんに入れて一人で会社に入り、来社理由などを説明し研修させてもらえないか頼むわけです。

 道順は効率良く回れるようにチッチがあらかじめ考えてくれていました。チッチのナビで1軒めに到着。家具のデザイン制作工房です。着くまでに車の中で、名前とか住んでいるところはとりあえずいいから、中学生であることと研修を探しているというところから始めるように、その後、必要に応じて研修の主旨とか将来の希望などを言うように言って、道すがらちょっと練習させました。責任者がいないと言われたら、いつならいるか聞くとか、とにかく黙って引き下がらない。少しでも長く話を聞いてもらい履歴書と手紙の入った封筒を渡し、返事はいつごろもらえるかなどを聞きなさい、と言って、明るく送り出しました。
 しばらくしてチッチが明るい表情で戻ってきました。社長が留守だから明日の5時半に来るように言われた、親切な人で、工房は木材の良い匂いがしていて、いい感じだった、と嬉しそうに言っていました。1軒めがいい感じで、やる気が出てきた様子。これはラッキーです。よし、次だ!と2軒めに向かいました。

 2軒めも親切で、話をちゃんと聞いてくれ、社長はいなかったけど履歴書を受け取ってくれたそうです。3軒めは住所に会社が見つからず、引っ越したか潰れたか、外に看板を出さず家でやっているのかも、ということでパス。4軒めに急ぎました。言ってみると思っていたよりずっと立派な会社で、「こんな立派な会社がうちの近所にあったんだ」と感心してしまいました。会社の駐車場には車を入れず、チッチは歩いて敷地内に入っていきました。しばらくして戻ってきて、受付がどこなのか分からずうろうろ探したと言っていました。受付の人は事務的にチッチが差し出した封筒を受け取り、「人事部の採用担当者に渡しておきます。」と言ったんだとか。なんだか冷たい感じだった、と言うチッチに「大きい会社なんだから、そんなの普通よ。社長がすぐ出てくる会社ばかりじゃないよ。とにかく渡すものを渡したんだから、それでいい。時間がないから次に行くよ。」と声をかけました。会社が閉まるまでに行かなければいけないので、時間がないんです。てきぱきと次に行かなければいかないので、くよくよ余計なことを考える暇はないというのは良いことだと思いました。

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チッチの企業研修先、決まる (その1)

 今14歳のチッチは中学の最終学年にいて、学校のカリキュラムの一つとして企業で一週間研修することになっています。研修先を探すのは生徒自身で、学校が斡旋紹介しているわけではありません。でもチッチは学校で志望動機の手紙の書き方など、必要なことを教えてもらった、と言っていましたので、とりあえずは一人でやらせてみよう、と思い、仕事が忙しかったのもあり、「まず行きたい会社のリストを作りなさいよ」と言っただけでそれ以上何も言いませんでした。説明会に出席した夫は、親の働いている会社はだめ、と言っていたから自分は何もできない、とにかく一人でやれ、と言っていました。

 10月の学校の休み中にパリのおばあちゃんのところにチッチが1週間泊まりに行きました。その時に会ったおばあちゃんの知り合いに研修の話をし、電気関係のところを希望していると言ったら、親戚にEDFで働いている人がいるから頼んであげる、と言われたのだそうで、パリだけでなく自宅に近いリヨンでも可能、と言われたらしいです。EDFは日本でいうと東電とか関電に当たる電力会社。コネでもないと中学生が研修なんて無理で、ありがたい話だとは思いましたが、苦労して探すこともしないでサラっと決まるなんてチッチの将来のためになるのかな、とも思いました。履歴書など何も出してないですし、直接会ってもいないのに受け入れてくれるのかちょっと疑問も感じていました。結局、2週間ほど経った先週の金曜日に、その人が勤めているのが原子力関係なので子供は受け入れられないという連絡があったそうです(私は出張で留守でした)。

 そしてこの時になって私は、学校で決められている研修時期が12月の3週めであることに気が付きました。もうのんびり探す暇はないってことで、もっとチッチを助けてやらなきゃ、と思いました。チッチに会社のリストを作ったか聞いたら、作っていないとのことで、つまりどう探せばいいか分からなかったんですよね。子供ですから当然で、仕事の忙しさにまぎれてそこまで考えてなかったと反省しました。近所の頼みやすいところはもう他の子が来ることになっているでしょうし、もっと早く本格的に探す活動を始めさせれば良かったのに出遅れた、と思ったと同時に、今からいろいろ励まして探させ、とにかく探すということを経験させよう、どうしてもなければ相談する機関があると聞いたのでそこに相談しよう、と思いました。相談するにしても自分で努力してからでないと相談しにくいですよね。

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射撃事件?というほどではないですが・・・

 昨日の夕方、外で遊んでいたチッチが「絆創膏、ない?」と言いながら戻ってきました。最近は天気が良くてよく友達と自転車で遊んでいるので、ころんで怪我でもしたのかと思い、「どうしたの?」と聞きました。聞いてみると、近所の男の子(と言っても20歳近い)のプラスチックのエアーガンで撃たれたのだそうです。見ると足に茶色の跡がありました。どうしてそんなことになったのか聞いてみると、その子の家の前で友達と立ち話をしていると、入るな!と言われ撃たれたんだとか。家の庭や玄関の方に入り込んでいたのではなく、歩道にいた、と言います。怪我と言うほどの怪我ではないですが、武器で故意に撃ったのは事実、これはこのままにしておけないと思いました。実は前にも撃たれたことがあるんです。その時は裏の森で遊んでいた時に、やはりその人を含めた若い男の子数人がエアーガンで遊んでおり、近づいたら危ないからでしょうが、こっちに来るなと言ってチッチの乗っていた自転車に撃ってきたのだそうです。その時も、人に向けて撃つのは危ないと思い、注意しに行きました。「各自好きなことをする権利があるけれども、他の人に危険が及ぶようなことはやめて。」と言いに行き、チッチにもあの人たち同士で遊んでいるんだから邪魔をするな、と言っておきました。

 でも今回は森ではなく歩道、というのが引っかかりました。それにその前日、武装した若者が小学校に侵入し子供らを射殺した事件があり世間を騒がせていましたので、たとえおもちゃの銃でも目に当たれば失明するでしょうし、武器をむやみに使ったり平気で人に向けて撃つという行為を見逃しては置けないと思いました。何か重大なことに繋がってからでは遅い、と思い、どの人がやったのか、本当にその人なのかをチッチに何度も確かめ、他にその場に居た子供にも間違いなくその人なのか確認し、その人の家にすぐ行きました。時間が過ぎてからでは、私が事件として重視している、という姿勢が通じにくくなる、と思ったからです。



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謹賀新年

carte de voeux


 昨年はいろいろ書きたいことがありながら、なかなか更新する時間がなく、そうこうしているうちに話題が古くなってきてしまう、ということで過ぎてしまいました。今年はもう少し頻繁に更新したいと思っています。

 今年の年賀状はこれです。夫がノルウェーの教会で撮ったものです。白夜だったらしく日が当たっていますが、夜12時を回っていたと言っていました。(私はノルウェーには行っていません。)ステンドグラスがクリスマスを思わせ、斜めに陽光が射しているところに新年の希望を感じたのでこれにしました。本年が皆様にとって良い年となりますように。

アルバニアという国

アルバニア国旗


 先週の金曜日のことです。チッチがTV雑誌で番組を探しているようでしたので、「今日、何かテレビでやるの?」と聞きました。すると、フランスとアルバニアのサッカーの試合がある、とチッチが言いました。さらに隣のAくんたちが今夜パリまで観戦に行っている、と言います。

 実は隣のAくん一家はアルバニア人で、お父さんは家のリフォームと内装専門の会社を経営していて、親類縁者のも多くがフランスに移民で来ているのか、大人数で集まって食事をしていたりします。いつもお国の言葉で話していて、Aくん一家は毎夏アルバニアに戻っていますし、出身国と深いつながりを持って暮らしているようです。チッチがAくんから聞いたことを教えてくれたのですが、今回フランスに試合に来たアルバニアのナショナルチームは、まだ新しいのだそうです。フランスナショナルチームも、監督が代わり、スター的選手が少なく世代交代した感もあり、そういう意味では新しいと言えると思います。

 隣はお母さんを除いた子供3人とお父さんというメンバーで、子供は学校を休んでパリまで出かけており、Aくんの親戚だけでも30人ぐらいは応援に行っているらしい、とチッチが言います。前にAくんの家で、応援グッズをいろいろ用意しているのを見たんだそうです。それは私たちも見なきゃね、Aくんたちがテレビに映るかもしれないよ、ということになりました。

 さてテレビの中継番組が始まると、アナウンサーが言いました。「フランスにとってはこの試合は大変重要で、引き分けにすればヨーロッパ選手権の出場権がほぼ確実になります。アルバニアにとっては負けて失うものもなく、勝って得るものも特にありません。」・・・なんだか試合が始まる前から盛り下がるコメントです。

 テレビで見る観覧席は、フランスの三色旗で埋め尽くされています。そこでチッチに「アルバニアの旗って何色なの?」と聞くと、Aくんのうちで見たのは赤だった、とか。フランスのテレビなのですから当然ですが、解説もカメラもフランス寄りで、観覧席もフランス応援のファンばかり映していて、赤い旗なんて見えません。Aくんたちだけで30-40人、他にも来ているだろうから、最低50人ぐらいはアルバニア応援の人がいるはず、とチッチが言うんですが、50人なんて観客全体からしたら全くの少数派です。テレビが始まる前にチッチに、フランスとアルバニアとどっちを応援するか聞いたら、やっぱりフランス人だからフランスかなー、でも選手たちの様子を見てから決める、と言っていましたが、この辺りからやっぱりAくんたちと一緒にアルバニアを応援した方がいいのかもしれない、という雰囲気になって来ました。

 そうこうしているうちに赤い旗を広げて持った応援団がTVに映り、「おー、いる、いる。」と盛り上がりました。「結構いっぱいいるよー。」と安心したように言うチッチ。TVに映った旗(この記事の冒頭に掲げました)を見ながら、アルバニアの旗ってこういうのか、と初めて知りました。

 2-3年前のことですが、外で遊んでいた子供たちが戻ってきて、隣の家にたくさんお客さんが来ているけど、それは独立記念日だからなんだって、と言います。「何の独立記念日なの?」と聞くと「知らない。」と言うので0「そんなのダメよ。どこの国の独立記念日なのか聞いて来て。」と言うとしばらくして「アルバニアだって。」と言いに来ました。それまではコソボの人らしい、と聞いていたのでコソボの独立記念日かしら、と思っていたのですが、コソボではなくアルハニアだとこのときに分かりました。

 私は東欧についての知識が非常に不足しており、アルバニアがどこにあるのかはっきり知らず(イタリアの向こうの方、という曖昧な知識しかありませんでした。)、アルメニアとなんとなく混同しています。ウィキペディアで見るとアルバニアは南欧の国と書かれており、イタリアのかかとの対岸に当たる場所にありました。(アルメニアはトルコの隣ですからずっと遠く、西アジアのような場所でした。)私がアルバニアが西アジアに近いように思ったのは2年ぐらい前にもらったAくんの写真のせいなのではないか、と思います。アルバニアの民族衣装を着て民族楽器を持って座っているAくんの可愛らしい写真なのですが、その衣装や絨毯の上に座っている雰囲気が西アジアを思わせる何かを醸し出していたのです。

 少し調べてみましたら、複雑な歴史を持ち、その歴史の中でも政治が不安定な時期が多く、経済的にはヨーロッパの最貧国と書いてありました。アルバニアの一部のような気がしていたコソボは実は隣国で、コソボが一部となっていたのは、セルビアでした。改めて調べてやっと、そうだった、そうだった、と言っている私。ホントに無知ですね。でもこのサッカーの試合とAくん一家のおかげで無知度をほんの少し下げることが出来ました。チッチと地図を見て、アルバニアはこれ、隣はボスニア、その隣はクロアチア、そのまた隣は、スロヴェニア、セルビア・モンテネグロはこっち、と確認しました。複雑ですね。昔はこんな名前じゃなかった、みたいな国ばかりですし、本当になじみがない地域です。アルバニアは1990年代にねずみ講が横行し、国民の半数が加入していて、ねずみ講が破綻した時は国民の3分の1が財産を全て失った、という記事も読みました。ねずみ講はどこの国にもあるでしょうが、なぜそのように広がって一国の経済が傾くまでになってしまったのか、興味深いところです。
もう少し調べてみようと思っています。さらに、20世紀後半に鎖国状態にあったようで、江戸時代じゃあるまいし、陸続きで飛行機もあるし、電波も飛ぶ時代にどうやって鎖国?と不思議に思いました。また、アルバニアは共産主義だったときに宗教が弾圧されたので、無宗教の人が多いけれども、統計で圧倒的に多いのはイスラム教徒、とネットで見た資料に書いてありました。私がAくんの民族衣装の写真を見て西アジアを思い浮かべたのは、どこかイスラムっぽい雰囲気が漂っていたからでしょう。

 さて、サッカーですが、試合開始後数分でフランスが1点入れ、アルバニアチームは華々しい活躍を見せることなく、3対0でフランスが勝ちました。せっかくパリまで行ったのに、Aくんたち残念だったね、とチッチと話し合いました。

 

フランスの冠詞の問題

 今日はるもんがさんのところにあったフランス語の勉強のお話です。リクエストにお答えして解説を試みました。

以下のカッコ内に冠詞を入れる、という問題です。

1. Je vais préparer (  ) dîner pour ce soir. 今晩のために夕食を支度しましょう。
2. Je vais préparer (  ) salade de tomates. 私はトマトサラダを作るの。
3. Serge va apporter (  ) coq au vin. セルジュが鳥の赤ワイン煮込みを持ってきてくれるの。
4. Il faut (  ) dessert, hein? デザートが必要だろう?


答えは 1番から le, une, du, un で、私は迷わずクリアーしましたが、なぜ?というご質問で、「いや、どうしてって言われても困るのよ。」というのが正直な気持ちなんですが、それでは学習者として困るでしょうし、あえて無理に説明してみることにしました。

 説明しやすい順にやっていきますので、番号順にはなりません。

 まず2番。サラダというものは一品の料理と考えられます。だから不定冠詞で、サラダは女性なのでune。同じような意味で4番も何かデザートが一つ要る、ということなので、不定冠詞、でもデザートは男性名詞なのでun。3番も"coq au vin"と言う料理なんですが、サラダとの違いはcoqという言葉がそれ自体は「雄鶏」を指す名詞で料理ではないことです。で、この雄鶏は料理になっていますので、頭から足までまるごとそろっている一羽の雄鶏ではなく(食べてみると結構丸ごと入っているんですけど)、切り取られていますので部分冠詞です。さて、1番が一番説明しにくいのですが、ここはやっぱりleしかなくunでは全く変に聞こえますが、それはなぜか・・・。まず一つ考えられるのは、これを言う場合、発話者は作るはずの夕食をなんとなくイメージしている、だから頭の中にあるイメージと関連させて定冠詞になった、ということ。でも夕食を作らない人が夕食に言及する場合もやはり定冠詞を使いますから、この説明は不十分に思えます。そこで考えたのは夕食というもの、と概念化して考えているということです。大体、この単語はdeux dînnersとか trois dînnersとか数えることはないように思います。だからunは無理。また夕食というものをその時食べるもの全体と考えているので、仮に前菜とデザートを省略したメイン料理だけの手抜きディナーになったり、出されたものを残したとしても部分冠詞にはなりません。で、定冠詞が使われている、というのでどうでしょう。

 なんだかこじつけっぽい説明になっていますが、参考になりましたでしょうか。


フランス映画のDVDを見ました。「猫が行方不明」

 昨日、娘とフランス語の原題はChacun cherche son chat (それぞれ自分の猫を探す)という映画を見ました。1996年の封切り当時に話題になっており、見たいと思っていたのですがやっと見ることが出来ました。

 早口言葉になりそうな原題が印象的ですが、邦題は「猫が行方不明」というのですね。なんとも情緒がない感じですが、仕方がありません。

 さてこの映画、非常にフランス的な映画だと思いました。長女の評価も高く、二人で「良い映画だね」と話し合ったのですが、とても地味~な映画です。長女が Il n'a y que des ratés(失敗してる人しかいない)と評したように、登場人物はパッとしない人生を送っていそうな人ばかりで、みんな何かしらの問題を抱えて日々を生きています。そして舞台は映像で見て明らかにパリなのですが、長女が「ここってどこなの?」と言うのも無理はない、花の都パリとはほど遠い、垢抜けない町なのです。垢抜けない舞台で、垢抜けない登場人物たちが、それぞれのパッとしない人生の中で、それぞれの物語を生きています。

 映画は、主人公クロエが飼い猫の預かり先を探しているところから始まり、最初どういう関係にあるのかよく分からないクロエとその同居人らしい男との猫をまつわる会話へと続きます。結局、預けた猫が居なくなり、それを探す、というストーリーなのですが、その中で、クロエとクロエを取り巻く人たちの人生が見えてくる、というわけです。登場人物はひと癖もふた癖もある人ばかりで、華やかで美しい人は一人も居ませんが、そこがまたリアルです。唯一魅力があるように見えた人物も、中身はなさそうで、それを象徴するかのように、その人物には役名すらありません。俳優さんたちは演技には見えず、全くそういいう実在の人物であるかのように見えます。立派な人もいないのですが、全くの悪人もいないです。その中で、主人公のクロエが、猫を探すことを通していろいろな人間関係を築いていくところが心が温まります。

 途中、クロエが同居人の男性に自分の意見を語っているシーンがあり、そこでは鏡に映ったクロエが映像となっていました。それを見て娘が言いました。「鏡というのは反対に写るから、これは本当に思っていることを言っているんではないと思うよ。」 古典的な手法だと娘が言っていましたが、なるほどと思いました。他にもいろいろ細かい造りになっており、秀作だと思いました。

 「あー、ダサい人しか出てこない。」と言った娘に「フランス的な映画だよね~」と言ったら「フランスがダサいって言いたいわけ?」と言われましたが、そういうことではなく、物語はこういう地味なところに存在する、というのがフランス的に思えたんです。

 恰好いい主人公が次々と華麗に事件を解決する、みたいな映画を好む方には面白くないと思いますが、私は味のある良い映画だと思いました。

チッチ、頑張る。

 去年ブログに書きそびれましたが、去年に引き続き今年もチッチが近所で行われた長距離走大会の子供の部で優勝しました。
今年で3回目ぐらいではないかと思うのですが、大人は森の中など17kmを走るもので、子供は6歳からの600m走と小学校高学年から12歳までが1200m程度を走るのがあり、どちらも市中に設けられたコースを走ります。去年は初めての出場で自分のレベルも分からず、スタート地点では陸上クラブのユニフォームを来た子たちに遠慮して後ろの方に場所を取っていました。そんな風でしたから、近所を一回りして(2周してゴールへ向かうというコースになっていました。)私たちが見ている地点を通過したときは、チッチが上位グループの1番か2番を走っていてびっくりしました。結局2位でゴールインしたのですが、1位の子は年齢が上で別のカテゴリーだったので、チッチのカテゴリーではチッチが一位となり、赤い絨毯の上に設けられた表彰台で優勝カップを受け取り、市長さんと握手して商品をもらいました。

 この経験で気を良くしたチッチは去年から来年も出場する、と言っていました。さて、今年は、一位を目指すと最初に宣言して、陸上クラブのユニフォームにもめげず、スタートラインでは最前列に陣取り、スタートの合図で一気に飛び出して行きました。スタート地点を過ぎたあたりで一周めが終わるのを待っていると、先導の自転車が見えてきて、その後をチッチがトップで走っていました。今年も一位かしら、と思っていると、すぐ後ろから走ってきた陸上クラブのユニフォームを着た子に抜かされカーブを曲がっていきました。去年は初めの方は陸上クラブの子の走るフォームを真似しながら走ったと言っていましたから、今年も抜かされたので後を追いながら走ったのではないでしょうか。そのまま待っていると2周めではさっきの陸上クラブの子が余裕で一位で通り過ぎ、かなり離されて2位がチッチでした。今年は2位かと思っていると、一位の子は一つ下のカテゴリーだったので、チッチのカテゴリーではチッチが一位、ということで、また優勝カップと商品がもらえました。でも、年下なのにダントツ一位って本当にすごいですね。

 優勝カップや商品はいただいたのですが、今年は絨毯も表彰台もなく、駐車場の片隅でこそこそと優勝カップを配っている感じで、市長もいないし、「子供の部門って冷遇されてないか?」と思ってしまいました。去年は大人の部に出ていたのでチッチの走るのを見られなかった夫ですが、今年は走らなかったのでチッチが走るのを見ることが出来ました。夫は去年早めにゴールインしたのでチッチの表彰式だけは見て、去年は大人のレースの方に関心が集まっていて子供たちの表彰式が全然注目されていない、と思ったそうですが、今年はさらにひどい、と漏らしていました。

 チッチはゴールイン後、地面に大の字に寝転がりながら、あの子、速い!もう全然追いつけなかった、大体筋肉痛だし・・・と言っていました。来年も出場したいそうですが、来年はチッチにとっては子供の部に参加できる最後の年で、あの速い子がまた来ていたら同じカテゴリーかもしれませんし、練習しないと一位は難しいかもしれませんね。見に来ていた長女のえが「あの子、見るからに強そうだよね。」と言っていました。黒人の子で精悍な顔立ちにスリムな体つきをしており、陸上クラブのユニフォームを着ていたことからも、いろいろな大会で経験を積んでいるに違いありません。強敵の出現ですね。

 実はチッチは前日の金曜日、学校から病気の子供を支援するアソシエーションへの寄付を募るために走る、という催しに出ていました。それで15km走ったのだそうです。(過去に別のレースを紹介する記事を書きましたが、同じものではないのですが同種の催しです。その記事は→
こちら)2回目のこの日は1.2キロですからそれに比べると距離は短いですが、速く走らなければならないので疲れますよね。チッチ、二日続けてご苦労さん。

 

のえがイタリアから帰ってきました。

 学校からグループでイタリアはフィレンツェに行っていたのえが先日帰ってきました。例のごとくチャーターバスによる体力に任せた強行軍(学校から行く旅行はいつもこうです。→過去記事参照)で、5月2日の朝、6時に学校を出発しましたからのえは朝5時のバスに乗って学校に向かいました。そしてあちこちで休憩しながらフィレンツェに着いたのはその日の夕方だったと思います。フィレンツェに3泊して5日の朝、フェレンツェを出て、海の方を通って途中海岸で遊んだそうですが、夜8時半ごろ学校に戻ってきました。夜はオペラに行ったり、泊まっているところでダンスパーティーもあったそうで、つまり夜更かししていたんですよね。昼間は自由時間がとても多く、生徒だけでの自由行動や自由に食事、自由に見学などで、信頼されている感じで楽しかった、と言っていました。

 のえの言うButin du voyage(旅の戦利品)、つまりお土産は、やっぱり食べ物中心でした。それもイタリアのシンボル、且つ安価で買いやすくて、かさ張るけど重いわけではないパスタです。

butin du voyage   

 パスタ以外にはピサの斜塔近辺で売っていた置物(一番お買い得だったとか)、メディチ家ゆかりのサンタマリアノヴェッラ薬局で買ったキャンディー(でも食べてみたらキャンディーではなくフランスでpâte de fruitと呼ぶフルーツのお菓子でした。)、スカーフ2枚でした。スカーフのうち紫の方は自分用で、オペラに行った夜に肩にかけていったそうです。黄色い方は友達へのプレゼントでどちらも100%ではないですが、絹が入っています。のえはイタリア語は全然勉強したことがないので、いつも英語で済ませていたそうですが、サンタノヴェッラ薬局に行った時は日本人の観光客が大勢いて、日本人の店員さんもいたので、「あのー、私でも買える物、ありますか。」と聞いてこの小さいお菓子を勧められて買ったそうです。「こんなに小さいのに5ユーロだよ。」とのえ。あとは、30ユーロとか、100ユーロのものもあり、お小遣いで買えるような値段ではなかったそうです。「でもきれいなお店で、お母さんは絶対気に入ると思う。」と言ってパンフレットを持ってきてくれました。パンフレットによると1612年の創立だそうで、もうすぐ400年、確かに歴史がありますね。日本にも支店があるって言ってた、とのえが言っていましたが、パンフレットを見るとリヨンにも支店があるじゃないですか。今度行こうよ、とのえと言っています。

 下はお土産の一つである置物です。
Tour de Pise

 ピサの斜塔と言いながら、置物には三つ建物があり、「なんで違うものと一緒になってるの?」と質問するとのえが説明してくれました。

「知らなかったんだけどね、Tour de Pise(ピサの斜塔)は教会のCloche(鐘楼)で、隣の教会の一部なの。で、このドームと教会と塔でセットになっていて、いつもこういう風に三つあるの。」

へえー、それは知りませんでした。同じような3点セットがフィレンツェにもあったそうです。「曲がってないけどね。」とのえ。「曲がってるんじゃなくて傾いているって言うのよ!」ピサの斜塔の隣の教会も傾いているそうです。斜塔に登ったのかと思ったのですが、入場料が15ユーロだったので、みんなあきらめてしまい、隣の教会は2ユーロだったので入った子もいたそうですが、のえは知らなかったのでどれも外から見ただけだとか。「だって有名かもしれないけど、ただ入るだけで15ユーロは高いでしょ。」それはそうですね。

 さて、パスタですが、フランスでは見かけない珍しいものを見つけてスーパーで買ったそうです。でも普通のものも、と思ってスパゲッティも買ったんだとか。なんだか毒々しい色をしたリボン型のパスタがあり、面白いのであまり深く考えずに買ったらしいですが、「これ、フランスってことらしいよ。」と言うのでよく見るとFranciaと書いてあります。イタリア語でフランスのことです。どうも三色旗を模しているらしいですが、ちょっと色合いが違いますね。他にもスペインとかイギリスとかが売られいたそうです。

 で、今日のお昼はイタリアのフランスのパスタを食べてみました。茹でているとお湯が青くなってきて、天然の着色料だそうですが、あまり食欲をそそられる感じではなかったんですが、味は美味しかったです。

Pâte Francia

 下はチッチが写真用に盛り付けたものです。

décoration par Tchittchi


 のえが留守の間、家でピサを食べました。食べながらチッチが言います。

「のえちゃんも今ごろピサを食べていると思うよ。イタリアはピザが多いから。」

イタリアに1週間ホームステイしていたチッチが言うと信憑性があります。イタリアのピザは美味しいそうです。こうやって投げて作るんだよ、とそれらしく動作を真似して説明してくれました。イタリアから帰ってきた時はこのような話はしてくれなかったので、今になって楽しげに説明してくれて嬉しかったです。ピザ以外にパスタも絶対食べる、量がすごく多いよ、とチッチが解説してくれましたが、のえに聞くとやっぱりピサとパスタを食べたそうで、どれも美味しかったそうです。

 私は以前から子供たちに、バカロレアが終わったら私と二人で3泊4日までの旅行をしよう、行き先は本人の希望に合わせる、3泊4日だから片道2―3時間で行けるところ、と言ってあって、チッチは今のところイタリア、と言っています。のえは
ニューヨークがいいと言っていましたが、遠すぎてダメなので行き先がはっきりせず、ロンドンにしたら?と私が言っていたのですが、イタリアから帰って来て居間にスーツケースを置くなり

「BAC(バカロレア)の後の旅行は、イタリアね。」

ですって。食べ物も美味しいし、楽しかったそうです。ズービン・メータ指揮のオペラ「アイーダ」を見たそうで、とても良かった、字幕がイタリア語で出ていて、話の筋は分かったし楽しめた、と言っていました。ミラノならスカラ座だけど、フィレンツェって何なの?と聞いても知らないのが頼りないです。美術館に行ってストラディバリを見たし、いろいろな楽器の録音を聞いてとても良かったと言っていましたが、その美術館は何?と聞いたら「名前はイタリア語だから忘れた、すごく大きくて有名なところだよ。」というので、「じゃあ、ウフィツィだけど、それはミケランジェロとかで有名なところなんだけど。」と言うと「ミケランジェロもあったよ。きっとそこだよ。でも彫刻とか絵はちょっと見ただけでとにかく2時間しかなかったので、楽器の方に行ってた。」ですって。あまり知らないで行くなんてもったいないですが、ウフィツィに楽器があったとは知りませんでした。他にもヴェルサイユみたいな宮殿に行ったそうで、「
フィレンツェだったらメディチ家の宮殿でしょ。」と言ったのですが、よく分からないそうで、せっかく行ったのにこうなるのは団体旅行の特徴ですね。二人で行く時はもっと勉強して行こうね、のえ。だって、「橋の上にいっぱいお店があって宝石屋さんとかきれいな店がいっぱいあったよ」、と言うので「それはポンテ・ヴェッキオでしょ。」とフィレンツェに行ったことのない私が言っている始末なんですから。

うちのお客さん

 ある4月の金曜日、のえが家にフランス語でmerleと呼ばれる鳥を連れて帰ってきました。日本語では「つぐみ」だと思うのですが、まっくろでくちばしだけ黄色い鳥です。よくいる野生の鳥でうちの庭にもよく来て何かついばんでいます。
 
 のえによると、学校の帰りにバス停から家までを歩いていると、道端に黒いものが落ちているので何かと思って近づくと鳥だったそうです。見た感じきれいなのになぜ動かないのだろうと思ってよく見ると片方の足が変に曲がっていて怪我をしているらしいと気が付きました。車の通るところで動かなくなっているので危ないと思ったそうです。バイオリンと学校のかばんを持っていたので、急いで家に戻り、ばたばたと段ボール箱などを用意して、バイオリンケースの中に入っているバイオリンを拭いたりする布を持って鳥のところに行き、抱き上げようとすると、よたよたとびっこを引きながら歩いて逃げようとしたらしいです。でもちょっとした段があってそこで動けなくなってしまったので、布で包むようにして抱きかかえ、家まで連れて来たと言っていました。抱き上げるとあきらめたのか、すぐ目をつぶってじっと動かなくなり、じたばたと抵抗することはなかったそうです。

 私は2階で仕事をしていたので、鳥がいることを知ったのはしばらく後です。もうのえが用意したダンボール箱に入っていて水とえさが用意されていました。たまたま有給休暇で家にいた夫は一度帰ってきたのえがまたバタバタと出て行ったのでどうしたのかと思った、と言っていました。

 怪我をしていて動けない、このままでは車に轢かれてしまう、と考えて連れてきたわけで、優しい行為ではありますが、だからと言って怪我を治す知識もなければ、鳥の世話の仕方だって知りません。「連れてきてどうなるの?うちはお医者さんじゃないし、第一、病気の鳥を触ったりして、何かの病気が移ったらどうするの?」とちょっとのえを叱りました。正直、面倒なことになったと思いました。随分弱っているようですが、何をなすべきかも分かりませんし、うちにいたら治るというものでもありません。「でも、あそこに放っておくわけには行かないよ。」とのえは言います。さらに「病気ならもっと羽がボロボロになっていると思うけど、この鳥はこんなにきれいだから病気じゃないと思う。」と断言します。確かに足の形が変なので怪我をしているようなのですが、出血は見られず、生まれつきの奇形なのではないかと思ってそう言いますと、「こんな、歩けないし飛べもしないのに、生まれてから今まで生きていられたはずがない。ついさっき怪我をしたんだよ。」と言います。でも、どうやって?鳥が足をくじくってこと、あるんでしょうか。

 最初ダンボールの中に置いた時、べたっと倒れたような形に寝ていたのでもう死んでしまうかと思ったそうですが、すぐ自分で立ち上がったそうで、私が見たときは目をつぶって動かず弱ってはいましたが、鳥らしい姿勢で立っていました。のえが用意した食べ物は飼いウサギのクッキーのえさから取った、鳥が食べそうな穀類でした。それを見ながら、この鳥はうちの庭でみみずなどを取って食べているのではなかったかと思いました。そういうしているうちに、のえはオーケストラのコンサートがあるので「とにかく静かにして、鳥にやさしくしてあげて。」と言い残し、出かけてしまいました。

 私は不潔だし迷惑だと最初思ったのですが、優しい気持ちで預かっているものをあまり非難するのも良くないですし、見ているとさっきより元気になり、頭を動かしきょろきょろ見回したりしていて可愛いですし、もうこうなった以上、治るまで出来るだけのことをするしかない、と思いました。その夜、知人で鳥のことを知っていそうな人に会ったので、この鳥が何を食べるか聞いてみました。返事はC'est un insectivore. (昆虫を食べるよ。)でした。やっぱり!虫なんてないですし、どうすればいいのでしょう。その人はキャットフードなら食べる、と言っていました。それも家にないので買いに行かなければなりません。

 家では世話を仕切れなくて獣医のところに連れて行った場合、費用はいくらぐらいなの?とその人に聞いてみました。(獣医ではないんですが医療関係の仕事をしている人なんです。)すると野生動物だから、私は飼う権利がないので獣医もお金を取る権利がない。だから獣医が世話をするために預かることになり、私の手元には戻らない、と言われました。鳥が助かるならそれでいいかな、と思いましたが、なんせ週末、うちの近所の獣医さんが開いているか分かりません。その人は土曜日の午前中なら開いている可能性がある、と言っていましたが用事が入っていて獣医に行く時間はありません。家に帰ってインターネットでつぐみの食べ物について調べると、食虫鳥用のえさが市販されていることが分かりました。夜遅く帰ってきたのえに私が調べたえさの情報と知人から聞いたことを話し、翌日えさを買いに行って月曜日に獣医さんのところに連れて行こう、と話し合いました。インターネットにりんごの芯も食べると書いてあったので、のえがかじったあとのりんごの芯を鳥の段ボール箱にそっと入れました。

 獣医さんのところに連れて行って断わられたらどうする?と言った私に、「どうして断られるの?」とのえが聞きます。「だって、みんなが怪我した鳥を連れてきたら、預かって忙しくなるだけで儲からないじゃない。」と言ったら、「それでも医者か!」と怒るのえ。そんないじわるなところにはクッキーが病気になっても連れて行かないよね、なんて話し合いました。

 翌日の朝、鳥が死んでいるのではないかと恐れていたのですが、ちゃんと生きていました。りんごの芯を食べた形跡があり、私は見ていませんが夫によると、外に出られないような深めの箱に入っていたのですが、バタバタと音がするので行ってみると箱の外に出ていたのだそうです。少し飛べたってことですよね。庭に出る窓の方に向かっていたので窓を開けるとよたよたと庭に出たそうです。私が見たときは、それで疲れたのか庭にうずくまっていました。でもうちの庭って近所の猫の通り道になっているらしく、時々猫が通るんです。このままでは猫が来ても逃げられないので危険だと考えたのえは、クッキーの住まいの上半分が金網のようになっているので、そこを外して鳥にかぶせました。これで猫が来ても安心。クッキーは水やえさの入れ物も鳥に貸していますし、居場所がなくなって庭で遊んでいました。

 
やはり野生の鳥だから家の中は嫌だろうし、かと言ってこのままずっとクッキーの金網を返してもらえないのも困るのでクッキーの夏の家(→過去記事参照)に入れようということになり、えさを買いにいって、夏の家の用意をして、逃げようとする鳥をなんとか捕まえてそこに入れました。

  入れ物に入れたえさは分からないようだったので、小屋の中に敷き詰めた草の上にえさをばら撒いたところ、ついばんでいるようでした。小屋の中をぴょん ぴょん動いて水を飲んだり、休憩したり、ちょっと飛んでみたりしていて、子供たちと「ちょっと治ってきたみたいだね。お医者さんに連れて行かなくてもいい かもしれないね。」などと言っていました。でもバタバタと飛んではあまり飛べなくて落ちてきて、しばらく変な恰好で倒れていて心配になったこともありま す。動いては疲れてうずくまり、また元気が出てくると動き始める、ということを繰り返していました。

 夜、のえはまたコンサートで出かけ て行きましたが、チッチが庭に鳥の様子を見に行っていました。私も行ったのですが、なぜか水の入った入れ物の中に立っているんです。そこで目をつぶって じっとしていて、「どうして水の中?」とチッチも言っていました。のえが夜遅く帰って来た時にも様子を見に行っていましたが、やはり水の中に立っていたそ うです。チッチは夜はまだ寒いから家の中に入れたほうがいいかもしれない、と言っていたのですが、家の中はやはり嫌いだろうし、今の小屋に入れるのにも怖がらせたと思うので、また捕まえて他のところに入れるのは可哀想だ、治るまで今の小屋に居てもらおう、ということになりました。そして私 が、「なんか入れ物に入れたえさは意味が分からないみたいで、落ちているのを自分で探して食べるのが好きみたいだったからえさをばら撒いたよ。」と話す と、のえが妙に感心したように、「なるほどねー、うん、確かに自分で探すのが好きだよね~、入れ物なんて知らないもんね。」と言っていました。そしてのえ が留守の間、結構元気に歩いていたし、ちょっと飛んだりもしていた、前より治ってきたからこのままどんどん良くなるといいね、などと話し合いました。
夫は土曜の午後から出かけていて留守でした。
 

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変な通達

 こちらの小学校では学校からの連絡はcahier de liaisonと呼ばれる連絡帳に、先生が配る連絡事項を書いた小片を生徒が糊付けし、それを見た親はサインを入れる、という方法で行われています。そこにどこかに見学に行くとか、何日にプールだから水着を持ってくるとか、保護者説明会はいつ、などというような連絡事項が書いてあるわけです。

 先週末、奈々がまた連絡帳を見せに来ました。そこには以下のことが書いた紙片が貼ってありました。

En partenariat avec le Ministère du Travail, de l'Economie et de l'Emploi, afin de relancer l'industrie textile au travers de l'élégance française, nous demandons, à partir du 01/04/2011, à tous les écoliers d'avoir une chemise, chemisette ou polo blanc, un pantalon ou une jupe sombre (bleu marine ou noir), ainsi que des chaussures en adéquation avec la tenue. Les tennues de sport seront dans un sac; les élèves ayant des vestiaires pour se changer.   L'équipe enseignante.

「労働・経済・雇用省との提携により、フランスのエレガンスを通して繊維産業を推進するために、2011年4月1日より、児童全員、白のシャツまたはブラウス、あるいはポロシャツに、濃い色(紺または黒)のズボンかスカートを着用し、この服装にふさわしい靴を履くようにしてください。スポーツウェアはかばんに入れること。児童は更衣室で着替えること。 教員一同」

 
読み始めてすぐ「なんじゃ、こりゃ?」と思いました。まず「労働・経済・雇用省」というのが、そんな省、あったけ?と引っかかりました。でも政府が変わるたびに省の正式名称が変わっているので、こういうのが出来たのかも、と思いました。そして、「フランスのエレガンス」「繊維産業の推進」のあたりで「学校と何の関係があるんだ?」と不思議に思いました。さらに「え!?白いブラウスに紺のスカート??」と驚きました。大体、なぜそれが「フランスのエレガンス」なんでしょうか。これは今のフランスのファッション感覚に合わない古臭いスタイルなのではないのでしょうか。

 納得できない内容なのですが、同意できる点もないわけではありませんでした。フランスでは私立の学校でも学校が指定する体操服があるところはほとんどなく、市販のスポーツウェアや体を動かしやすい適当な服装で体育の授業をするのが普通です。小学校では特に更衣室もなく着替えの時間もないようで、体育のある日は、着替えなくてもいいようにスポーツの出来る服装で登校します。私はこれはあまり良くないと普段から思っています。スポーツで汚れた服を一日中着ているのも不潔ですし、これですとスポーツのない日もジャージ類で登校することにもなりそうです。子供でも年中ジャージにトレーナー、というのは教育上良くない気がします。別に高級なものでなくてもいいから、汚してはいけない服をたまには着て行儀に注意させるとか、服装に無頓着になりすぎることなくTPOに合った服装を選ぶ知識や習慣を身に付けることも必要に思います。

 ですから全面的にこの通達に反対というわけではなかったのですが、こんなの現実に合わなくて守れないので、有名無実化するのが目に見えている通達だと思いました。白いシャツや黒いズボン、それに適した靴を持っていない家庭だってあるはずで(うちも持っていません。)、いちいち買い揃えなければならないとなると、保護者団体から苦情が出そうです。先生だって今までになかった着替えの時間を取られ、低学年のクラスでは特に、授業効率が下がり支障がでるのではないでしょうか。

 ここまで考えたのですが、でもなんか変な話だな・・・と思って夫にこの通達を読み上げて聞かせました。すると夫は

Ca c'est Poisson d'avril, ça. (それはポワソン・ダヴリルだよ。)

と言いました。ポワソン・ダヴリルというのは「四月の魚」という意味ですが、エイプリルフールのことです。フランスでは、魚の形に切った紙を先生や友達の背中にいたずらで貼り付けたりします。背中に魚がついているのに気が付いても年中行事の一つなので、気が付かない振りをしてそのまま歩いている人もいます。学校の先生をしていた知人が、「たくさん魚がついていたんだけど、気が付かない振りをしていた。そういう日だからね。」と言っていたことがありました。別の友人からは、誰かに魚の形の紙を郵便で送るのに自分が書いては筆跡でばれてしまうのから、と言って住所の代筆を頼まれたこともあります。ニュース番組やドキュメンタリー番組にまことしやかな冗談が混じっていたりすることもありますね。

 夫に言われるまで全く気が付かなかった私ですが、言われて見ると、これは冗談以外の何物でもありません。「やっぱり変だと思ったよー。」と思いつつ、一度真面目にサインした奈々の連絡帳をまた出してきて、私の署名の横に小さく魚の絵を書いておきました。そして、先生もなかなかやるじゃないか、と思ったのでした。これが、奈々の担任の先生の個人的な行為なのか、教員一同によるものなのかは不明です。

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チッチ、自転車のパンク直しを習得

 うちには自転車が4台あります。奈々がもっと小さい時に乗っていた3歳児用の自転車、前はチッチのだったけど今は奈々が使っている自転車、前はのえのだったけど今はチッチが使っている自転車、夫の自転車(でも実はのえがこっそり使っていることもある)、の4台です。この頃、暖かくなってきて天気も良いので外で自転車で遊ぶにはぴったりなんですが・・・、実はこの4台のうち、もう使う人の居ない一番小さいの以外の3台が全てパンクしていて、使えない状態でした。実は去年からパンクしていて、そのままになっていたんです。

 私は普段自転車に乗りませんし、自転車のことは何も知らず、夫も大工仕事などは苦手なので何の知識もないようです。今までもパンクした自転車を車に積んで自転車屋さんに持って行き30ユーロぐらい払って修理してもらったことがあります。パンクしてるから直して、と子供に言われながら、高い、持って行くのが面倒、ということで伸ばし伸ばしになっていました。大体、今使っている自転車は大きくて容易に車のトランクに入りません。

 タイヤだけはずして持っていけばいいんじゃないのか?とか、そもそもパンクって自分で直せるんじゃないのか?とずっと思っていたのですが、必要な道具もないし、何が必要かも分からず、そのままになっていました。子供の時、友達のお父さんがパンクを直しているのを見たことがありますし、何度か人がやっているのを見たのですが、結局直し方は覚えられませんでした。

 先日奈々が自転車に乗りたいと言って出してきてタイヤがぺちゃんこになっているのでエアポンプで膨らますのを手伝うように頼まれましたが、いつまでやっても膨らまなくて、そうだパンクしているんだった!と思い出しました。奈々ががっかりしているところにチッチが帰って来て、他の自転車も調べて3台パンクしている、と言ってきました。チッチは工作や大工仕事などの手仕事が結構好きなので、ちょっと提案してみました。

「みんなよく直しているみたいだから、自分で直せると思うの。どうやって直すか調べてくれない?直すのに要る道具とかは買ってあげるから、何が要るのか、どうやってやるのか調べてみて。中のチューブを水につけて穴がどこにあるか調べるみたいよ。」

 すると早速張り切ってインターネットで調べていましたが、しばらくして「自分でできそうだ。やり方の説明があった。」と言って要る物のリストをくれました。なんだか聞いたことないものばかりで、こんなのどこに売っているのかしら、と思いましたが、

「カルフール(近所の大型スーパー)に売ってるかな~。今度見に行こう。」

ということでその日は終わりました。

 その翌日、チッチがパンクしたタイヤを自転車から外し(学校の技術の時間に自転車のしくみについて習ったので外し方は知っていたらしいです。)、中のチューブを出し、水につけて「ここに穴がある!」と得意そうに見せに来ました。とりあえず
タイヤ3つとも、穴を見つけて印をつけただけでその時は終わりました。その日、それからチッチから要る物を買いに行こうと何回も頼まれましたが、なかなか手が空かず、夕方になってやっと買いに出かけました。近所に売っているのか疑っていたのですが、なんのことはない、パンク直しセットみたいなものがあってそこにチッチがリストに挙げたものが全部入っていました。

 「やり方は分かっている。」とチッチは言うんですが、ネットの情報を見ただけですからどうも怪しい感じがします。でもチッチと話しているうちに近所のMさんが昔プロの自転車の選手だったと前に聞いたことを思い出しました。そういう人ならパンクぐらい直せると思って、やってみて分からなかったらMさんに聞けばいいや、と思いチッチにそういうと「大丈夫、分かると思う」となにやら自信ありげです。

 それから暗くなるまでずっと家の前で作業をしていたチッチ。夕飯の時間になったので呼びに行くと、満足そうににっこりして「片付けてから行く。」と言いました。真っ黒な手をしていました。家に帰ってきてから

「で、直ったの?」

と聞くと

「うん、でも2個だけ。パパのは時間がなかった。」

ですって。一仕事終えて満足そうで得意げでした。それはそうですよね。私も夫もできない作業を一人でやり遂げたんですから。奈々の自転車も直ったので奈々からも喜ばれ、どうやって直したのかいろいろ説明してくれましたが、全部忘れてしまいました。まあ、いいや、またパンクしたらチッチが直してくれるでしょう。

「いいことを覚えたよね。これからもずっと役立つと思うよ。」

と言ったらうなずいていました。

 それから近所のMさんと話す機会があり、チッチが、自分でパンクを直した話をすると、自転車のことなら何でも知っているから分からないことはいつでも聞いて、と言われたそうです。心強いですよね。



地震、お見舞い申し上げます。

 3月11日、フランス時間の朝9時ごろ、ルモンドのニュース速報メールで、「北日本で4mの津波」というのを目にしました。その時は、日本は津波が初めてでもないし、と思い軽く考えていましたが、その後、断片的に入ってくる情報で、どんどん規模が大きくなってきて、心配になってきました。12日になって、ネットやTVニュースで、被災地の惨状の写真や映像を見て、その規模の大きさと範囲の広さに愕然としました。

被災された方、ご家族やご友人が被災されて心配なさっている方、
フランスより心からお見舞い申し上げます。

 日本の地震のニュースはフランスの全国紙では一面に大きなカラー写真入りで、TVのニュースではトップで報道されています。原発についても、爆発事故の前から、専門家が、「受け取っている情報から判断すると爆発事故の可能性は否定できない。」とコメントしていました。爆発後は、爆発のシーンのビデオが放送され、TVで図解入りで原子炉の部分の爆発ではないので放出される放射能は比較的低く、最悪の状況ではない、と専門家が説明しているのを聞きました。

 日本のことですから、必ずや乗り越えると信じていますが、メディアで見る被災地の様子は壊滅状態で、復興に時間がかかるのではないかと思えてしまいます。現地の方は、停電、断水で不便な生活を強いられていることでしょう。東京でも
「計画停電」というのが行われるとか・・・。本当に異例のことで、被害の規模の大きさが伺われます。

 神戸の震災の時にパリの日本人会が募金活動を組織していたので今回も同じようなことが行われると思います。ネットでは既にいろいろと募金が出来るようになってきているようですが、在仏日本人からの寄付ということで被災地に届けたいので、フランスから募金するようにしたいと思っています。遠くに居て何も出来ないのでせめて募金ぐらいは、という気分です。


子供たちの大掃除

 忙しくしていたのでブログ更新をすっかり怠っておりまして・・・いつのまにやら暮れが近づいて来てしまいました。

 さて、我が家では今週は子供たちが各自の部屋の大掃除を行いました。フランスでは、大掃除は普通は春の風物詩なんですが・・・。

 きっかけは先週末に、いつものごとくとても散らかっている奈々の部屋を見て、私が「これじゃ、サンタさん、帰っちゃうよ。だって、これ以上、おもちゃも本も置くところがないじゃない。」と言ったことです。おもちゃ箱から溢れたおもちゃやガラクタ類が床に山のようになっており、机の上は本やら絵を描いた紙やらが山をなし、床にも絵本や人形の服が広がっており、ベッドの上にもぬいぐるみがいろいろと置いてあるんです。ときどき注意して片付けさせたり、片づけを手伝ったりしているんですが、一時的にきれいになっても、しばらくするとまた散らかってしまうのが奈々の部屋です。

 最初、奈々は、私の部屋には煙突がないし、サンタクロースはこっちには来ないから大丈夫、とか言っていたんですが、やっぱり少し心配になったらしく(まだ少しサンタクロースを信じているらしいんです。)、あとでこっそり床に散らかっている本を片付け、机の上の紙を整理したりしていました。しかし、少し片付けただけでは足りないぐらい、半端でない散らかり方をしているのが奈々の部屋・・・。あとで一緒に片付けよう、と思いつつ、私も何かと忙しく、後回しにしていましたが、長女のえにまで、こんな部屋ではサンタクロースは絶対に無理、と言われてさすがにまずいと思ったらしく、奈々がモーレツに片付けを始めました。あまりにもひどい、と言ってのえも片づけを手伝ったので、すっかりきれいになりました。「なんか、部屋が広くなったよね~。これなら、サンタさんも大丈夫。」と言うと奈々が満足そうにしていました。

 のえの部屋はここ2年ぐらい、大体いつも整っていますが、整理し始めると不要な物が出てきたようで、のえも、物を捨てたり掃除機をかけたりしていました。そんな二人の様子に触発された形で掃除をし始めたのがチッチです。「チッチの部屋はどうなの?サンタさん、危ないんじゃないの?」と言った私に苦笑いで答えて、結局は部屋の片付けや掃除を始めました。奈々ほどは散らかっていませんが、私からすると分けのわからないものが床に置いてあったり、どういうルールに基づいて物の置き場所が決まっているのか掴めないのがチッチの部屋。掃除をすると、やはりなぜ今まで部屋に置いてあったのか不思議に思うような、ダンボールの切れ端だとか、変わったものがいろいろ出て来たようです。

 各自の部屋がすっきりした後、「サンタさんが帰っちゃう」とか言いながらチッチと奈々が居間の掃除をしていました。居間には暖炉があり、サンタクロース侵入径路に当たりますので、重要地点ですよね。


 サンタクロースの効果で、子供部屋が片付き、居間の掃除も子供たちがやってくれました。サンタのおじさん、ありがとう。

 さて、今は24日から25日に日付が変わる時刻が近づいています。居間のクリスマスツリーの下にはプレゼントが並んでいます。掃除の甲斐あって、サンタクロースが来たようです。ですが、これでまた、おもちゃや本が来て、せっかく片付いた子供部屋が、また散らかってしまうのでは、と不安です。次のサンタクロースは随分先なので、また持ち出しても効果は期待できないですし、どうしたものでしょうか・・・。




新学期が始まりましたが・・・

 夏休みの写真をアップしようと思っているうちに早、9月。今日から新学期が始まり、のえは今日から高校、チッチは中学、奈々は小学校とそれぞれ1年生に入学しました。

 のえは去年まで通っていた中学とつながっている高校に通うことにしたので、勝手知ったる校舎で先生の一部ももちろん知っており、クラスメートも半分は前から知っているので、あまり緊張もなく、こちらも送り迎えなどの世話はしませんでした。

 チッチは学区外の小学校に越境通学していたので、今年入る学区内の中学校には近所の子数人しか知り合いがいません。でも私は小学校1年生に入る奈々に付き添わなければならないので、チッチには一人でバスで登校してもらいました。クラスには知っている子は全くいなかったけどもう友達もちょっと出来た、と後で聞きました。

 奈々は小学校に入学と言っても去年まで通っていた幼稚園と同じ敷地内の小学校なので、見学などで行ったこともあります。でも、うきうきしてはいましたが、建物も雰囲気も幼稚園とは違うので少しは緊張していたと思います。でもあとで聞くと、クラス21人中、一人知らない子がいただけだったとか。

 こうして見ると一番大変だったのはチッチだったのではないでしょうか。私も子供の学校のことで半日終わってしまいました。

 私は奈々を学校まで連れて行き、担任の先生に呼ばれて教室まで連れて行ってそこで奈々と別れ、その後、急いでチッチの中学校に向かいました。保護者説明会がある、と聞いていたからです。私が着いた時には、生徒と保護者が集まっている中、校長らしき女性がマイクで話していました。その後、先生方の紹介があり、それを聞いているとチッチが私を見つけて「大丈夫?」と近寄ってきました。(大丈夫に決まってるんですが、フランス語の直訳的挨拶ですね。)それから6e6(日本風に言うなら6年6組ですね。)の人は前に出なさい、と言われましたが、横にいたチッチが「僕って何組?」と聞くんです。私は急いで来たのでどこかに張り紙があったのでしょうが、見ていません。「見ていないんだけど、チッチは見なかったの?」と聞くと「見たけど忘れた。」と言います。何、やってるのよ~というわけで、「どこに書いてあった?」とか言いながら、二人で張り紙を見に行きました。「6e6じゃなかったと思う。」と言っていましたが、確かめると6e3でした。チッチが組だと思ったのは単なる記号だったようで、分けが分からなくなっていたのでした。チッチの組の番が来てチッチはみんなと一緒に教室に向かい、他のクラスが集合している間、顔見知りのお母さんと立ち話をしていました。全クラスが担任の先生と教室に向かったあと、どこに行けばいいのか分からない生徒が3人いたので、その生徒の世話に時間がかかっていました。ぼんやりしていて自分のクラスを逃してしまったうっかり屋の生徒かと思ったのですが、事務のミスか何かでリストにない生徒がいたようです。心配になったのか泣いている子までいて、可哀想でした。

 そして保護者説明会が別室で始まり、終わって家に戻ったら11時。奈々は昼食を家で食べることにしていたので、11時半にお迎えです。新学期は何かとバタバタしjますね。

 今日の中学の保護者説明会でも生徒の前でも何度も言っていたのが「今日渡す時間割は仮のもので、それで問題ないかはスタートしてみなければ分からない、問題があればその都度調整し、最終的な時間割が分かるのに10日程度かかる。」という話です。この中学に限らす、他の学校でも同じで、前に私が勤めていた中学・高校でも同じやり方でした。同じ先生が同時に授業を受け持っていないか、教室の使用がダブっていないかなどを含めた不都合がないかの確認に数日かかるというんですが、コンピューターのある現代になぜこのようなことが起こるのか、不思議です。でも昔からの伝統なのか誰も不思議がっていません。

 帰ってきたチッチに学校のことを聞いてみると、クラスの子は優しい子が多いし、給食がすごく美味しかった、いい学校だと思うと言ってました。やたらに記入しなければいけない書類が多いのが新学期ですが、3人ともも持ち帰った書類が思ったより少なく、教科書は全て受け取っていましたし(教科書がないことがある、という話は去年書きました。→過去記事)、あとは例年のごとく、教科書にカバーをするだけだと思っていると、チッチが言います。

Il y a pas mal de problèmes (いろいろ問題があって・・・)

 その問題とは、登録されていなかったた生徒が数人居たということがまず一つ、(これは知っていました。)2番目は、学生証や食堂のカード(これがないとお昼ご飯が食べられません。)、リクリエーション設備使用に必要なカード(別料金を払って申し込んだものです。)が全然もらえなかった、ということです。他の子は全員もらったのにチッチともう一人だけもらえなかったとのことで、理由は証明の顔写真を提出していない、ということらしいんですが、申し込みの時にきちんと提出しました。「提出したはずだけど・・・」と言ったチッチに「ない」と冷たい返事をされたそうで、また提出しなおさなければならなくなるかもしれません。写真だって無料ではないですし、5枚も提出したのに・・・。提出書類がそろっていなければ申し込み受付は出来ない、と言われていて、係員が足りないものがないかチェックしていたんですよ。失くすなんてひどいです。

 先生や学校の雰囲気はいいけど、事務がずさん、というのがチッチの第一印象のようですが、私も同感です。

 そして、明日はのえは午後授業がなく、チッチの学校は他の学年のRentrée(始業式)なので登校しません。ちゃんと学校があるのは奈々だけ・・・。来週の月曜日と火曜日は教員のストで休講の先生が多く、チッチは月曜の午前中は授業がないらしいです。新学期早々ストですか??信じられません。

 今日、奈々を4時半に学校に迎えに行った帰りに近所でチッチの友達の中学生Uくんに会いました。Uくんは明日始業式なのでまだ外でのんびりディアボロをやりながらチッチの帰りを待っていたのでした。Uくんと中学校の話をしていると、音楽の先生で病気ばかりして休講が多い先生がいるので、その先生の授業が一日の最後だと早く帰れるからいいけど、そうでなかったら自習になって面倒だ、とかいろいろな情報を教えてくれました。帰ってきたチッチを捕まえて外で時間割をチェックをしてくれたらしく、チッチが「Uが、この時間割、結構いいって言ってた。」と言いながら帰ってきました。音楽は問題の先生の担当なのですが、一日の最後の時間に入っていたので休講なら早く帰れる、というわけです。きちんと授業をして欲しい親としては何にも良くないですけど。

 のえのクラスの体育の担当は、去年休んでばかりで数回しか授業をしていないV先生。担任発表の時、この先生の名前が出るとのえたち経験者が「えー!」と不満の声を上げたそうです。去年は月曜の朝8時から10時が体育だったので、早起きして登校した結果、結局自習という目に何度も会ってきた生徒たちなので当然です。

 それにしても、新学期早々のストといい、欠勤が多い先生といい、ちょっとやる気がなさ過ぎませんか。先生の職業病の筆頭はうつ病だそうで、うつ病による欠勤が多いんだとか。去年ののえの学校のイタリア語のクラスでは一年間に先生が3回変わったのですが、原因はうつ病だそうです。いったいどういう生徒なの?と思ったのですが、学校が小規模なので人数も少なく、メンバーを聞いてみると真面目な子が多かったので納得できませんでした。

 全員明るい顔をして学校から帰って来て、学校の話をしていましたので、ひとまず安心ですが、新学期開始と言いつつちゃんと開始しているのは奈々だけで、こんなことでいいのか、と思わないでもない新学期なのでした。

インド文学のフランス語訳を読む 

  最近読んだフランス語の本を紹介します。Les fabuleuses avenctures d'un Indien malchanceux qui devint milliardaireという本です。題名の意味は「億万長者になった不運なインド人の奇想天外な冒険」というもので、正直、題名にも表紙にも興味を覚えませんでした。

Q & A

 他の本を買いに長女のえと書店に行っていて、のえがこの本を見つけ、「絶対読んだほうがいいよ。すごくいい本だよ。」と熱心に言うので買って読むことにしたのです。のえは学校の図書館で借りて読んだのだそうです。やはり最初はのえも特に読みたいとは思わなかったそうなのですが、友達が面白いと言っていたから読んでみたと言っていました。

 
原書は英語で、原題はQ and Aと言います。クイズに勝って賞金の大金を手にしたインドの下層階級の若者がなぜ特に学校も行っていないのに難しいクイズの質問に答えることが出来たかを説明する物語なのですが、それがこの若者の半生と重なっています。生きていく中で出会ってきた様々な出来事の中にクイズの答えが隠されていたのです。

 
クイズの問題の順に話が構成されているので、年代順にストーリーが進む一般的な伝記とは構成が異なっていますが、読んでいくうちにだんだん前後していた要素がつながっていく、巧妙な作りになっています。淡々とした語り口にはユーモアも含まれており、テンポも良いので面白く読めます。でもけっして面白おかしいシーンばかりではないところもいいと思います。貧富の差や社会の理不尽さ、人間の醜さ、優しさをさりげなく浮き彫りにしながら話が進んでいきます。一口に言えば、貧しい孤児の苦労話なんですが、暗くはありません。かといって希望に満ちているわけでもなく、人生こんなもんさ、という感じで、説教臭くもなく、捨て鉢でもなく、なんとも言えない雰囲気なんです。悲惨を絵に描いたような境遇の中ひたむきに生きる主人公の姿が読むものの涙を誘う、という本はいくらもあると思いますが、これは読んでいて涙が止まらない、というような話ではありません。悲壮な雰囲気ではないところがインドらしさなのかもしれません。またいろいろ伏線が張ってあり、最後に「そういうことだったのかー」と納得する種明かし的な要素もあり、楽しんで読めました。

 この本は映画化されアカデミー賞をいくつも撮ったそうですので、のえと映画も見たいね、と言っているところです。
邦訳も出ています。「ぼくと1ルピーの神様」という題名です。


ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)

 フランス語版の題名はあまりセンスがないですね。邦題の方がいいと思います。本を読み終えた今、この邦題の意味も分かります。

 のえからせがまれて、出たばかりの同作家の新しい本も買いました。フランス語訳はMeurtre dans un jardin indienですが、原題はSix Suspects。題名からも分かるように今度は推理小説らしいです。まだ邦訳は出ていませんが準備中だとどこかに書いてありました。もう読んでしまったのえは、新作は構成がさらに巧みで細かいところまで良くできている、新作の方が出来がいい、と言いながら、「でも、クイズの方を先に読んだほうがいい。」とのことでしたので、新作は後回しにし、こちらを先に読みました。この作家の作品以外に、インド関係の読みたい本がいくつか出てきました。これから少しずつ読んでいこうと思っています。
 
 のえから奨められなかったらこの本は読まなかったと思いますし、「どこまで読んだ?」とか聞かれて説明したり、読後にいろいろ話し合ったりして、子供から奨められた本を読むのもいいものだな、と思いました。

子ども達と見たDVD カルメン


Carmen


   今日は、子どもたちと見たDVDを紹介します。これはオペラ「カルメン」の映画版で、劇場で演じているものを撮ったものではなく、ロケをしているのですが、全くオペラのままで歌っています。プラシド・ドミンゴとジュリア・ミゲネス・ジョンソンがドン・ジョゼとカルメンです。

 この映画はまだ日本ではDVD化されていないようで、VHS版しか見当たりませんでした。このDVDはフランスのもので、近所の図書館で借りました。のえはビゼーの「カルメン組曲」は何度もオーケストラで演奏していていますし、チッチもオペラの中の闘牛士の歌を合唱していたこともあったので、メロディーや歌詞を知っています。なのに、オペラ自体を一度も見たことがなく、フランスでは有名な作品ですし、教養のために見なさい、というわけで、私が借りてきたのです。

 DVDのカバーはご覧のとおり、特別子どもの興味をそそるものではありませんし、私が見なさいというので、付き合いで見始めた、というのが子どもにとっては正直なところでしょう。ところが、ところが、演出も上手く歌も良いので、次第に引き込まれ、しっかりエンターテイメントになってしまったのでした。

 舞台はスペインですが、原作がフランス語なので、フランス語を話しているのですが、出演者の多くがフランス人ではないので、フランス語が訛っています。そこがまた、スペインらしくていいのです。(一人フランス語が上手い人がいましたが、後で配役を見たらフランス人でした。)歌になってしまえば、フランス語の訛はあまり気になりません。

 最初、字幕なしで見ていましたが、途中でのえが、「お母さん、字幕なしで分かる?」と聞いてきました。私はストーリーを知っているので字幕の必要を特に感じなかったのですが、歌で歌詞が聞き取りにくく、19世紀のフランス語なので古いフランス語となっており、のえは「字幕がないとちょっと苦しい。」と言って、字幕入りに切り替えました。チッチも熱心に見ていましたが、夜遅くなり、半分見たところで続きは明日、と言って一旦終了しました。

 翌日は朝からのえとチッチが「今日、続きを見ようね。」と何度も言っていて、夕方、後半を見ました。そして3日目は、気に入ったシーンだけ何度も見て、また楽しみました。

 のえは、カルメンが格好いい、歌も演技も上手くてカルメンにぴったり、と言っていました。私もなかなかチャーミングなカルメンだと思ったのですが、チッチはカルメンは可愛いくない、と言っていました。でも映画は面白かったそうです。奈々は字幕が読めませんし長くて退屈していましたが、知っているメロディーが出てくると喜んでいました。

 オペラって面白いねー、こういう映画、他にないの?とのえが言っていたので探して見たのですが、見つかりませんでした。劇場で上演したオペラがDVDになったものはいろいろ出ているのでそういうものを今後見ていこうと思っています。

 映画の後、メリメの原作が自宅にあったので、「これもあるよ。」とのえに渡しておきました。Carmen Et Treize Autres Nouvelles

短編なので読みやすく、私もずいぶん前に読みました。

意外にも子供達がオペラを面白がるということが分かった経験でした。メロディーに先に親しんでいたのが良かったのかもしれません。この後、数日間、3人とも遊びながら、オペラの一節を口ずさんでいました。

フランスで見るワールドカップサッカー、日本、決勝トーナメント進出

 南アフリカ共和国でサッカーの」ワールドカップが開催されていますが、ご存知のとおり、フランスはチーム内がごたごたしており、そのせいもあってか、早々と予選突破の可能性を失い、最後の試合も結局負けてしまいました。0勝、2敗、1引き分けというぱっとしない成績に終わりました。

 しかしテレビの放送は続きます。自国がプレーしなくてもサッカーの魅力を伝えていくのがマスコミの仕事ですよね。今夜の日本対デンマークは、時差がないので実況中継で見ました。日本では寝不足の人が増えていると聞きましたがどうなのでしょう。

 今日は日本が2002年のワールドカップ以来、2回目の決勝トーナメント進出を決めましたね。

 今日のテレビ中継では試合が始まった時から、アナウンサーも解説も親日的で、
Nos amis japonais 「我々の友達、日本」と何度か言って、プレーに好意的なコメントをしていました。日本が先取点を取ったときも、見本のようなシュートとのコメントがありました。

 2点目を取った当たりから、引き分けでも予選突破できる日本ですから、予選突破の可能性が高い、と言うコメントが出てきて、ワールドカップ出場4回目、出るたびに成長してきたチームです、と解説がありました。

C'est une belle équipe. (大変良いチームです。)

と何度か言っていました。そしてデンマークが1点入れた後、すかさず3点目を決めた日本チームのチームプレイを褒めたあとで、


Ils vont loin dans la compétition. (今後勝ち抜いて行くでしょう。)

と言っていました。今まであまりぱっとしないチーム、というのが一般的で正直な印象だったと思いますが、Ils ont bien progressé.  (大きく進歩しました。)と解説が入り、試合終了時には、


Le Japon s'est qualifié pour la 8e de finale sans contestation. (文句なく日本が決勝トーナメント進出を決めました。)

と晴れがましくアナウンサーが告げました。sans contestation (異議なく)というところが嬉しかったです。

 決勝トーナメントは出場チームが16あるので、8e de finaleと言います。準々決 勝quart de finale準決勝はdem-finale、決勝はfinaleです。今後も日本チームの健闘を期待しています。


母の日のプレゼント

今日は「母の日」だそうです。朝、起きてすぐ私に会いに来た奈々が教えてくれました。「そうだったっけ、忘れてた。」と思っていると、今日のために幼稚園で習ってきたらしい歌を2曲歌ってくれました。そして朝食を食べていると奈々が

Tu veux un cadeau? (プレゼント欲しい?)

と聞いてきました。「あるの?」と聞いた私に、にんまりしながらうなずいてごそごそと出してきたのが以下の品です。


fête des mamans

 右の花柄のカードには、さっき奈々が歌った歌の歌詞が書いてありました。「へぇー、きれいだね~。」などと言っているとチッチが来て言いました。

J'ai vu tous les autres dessins, mais celui de Nana était le plus gai. Les autres étaient plutôt en gris...(他の絵も全部見たけど、奈々のが一番、明るくて陽気だったよ。他のはグレーっぽかった。)

チッチは、私が留守だったので、学校から帰った後、奈々を幼稚園まで迎えに行ってくれたのです。他の子の作品も見て妹のを褒める辺り、優しいお兄ちゃんと言う感じですね。

 植物の包みを開くと鉢に飾りがついていて、奈々がピンクを選んで色を塗り、ハートの飾りをつけたことが分かりました。

fête des mamans 2

 この植物は豆類ではないかと思いますが(安価で発芽しやすく育つのが速いので、幼稚園で扱いやすいです。)奈々はgraine(種)としか言っていませんでした。

 奈々は今度の9月に小学校に上がりますから、母の日のプレゼントは幼稚園ではこれが最後。小学校で用意することもありますから、長ければあと2-3年続くかもしれません。

 夫からは香り入りのろうそくと香油のセットをもらいました。部屋に飾ってあります。

追記 幼稚園の先生に確認すると、奈々が植えた植物は豆ではなく藤(glycine)でした。種から植えたそうです。「藤って豆に似てるんだ。」と思ったわけですが、藤ってマメ科の植物のようです。

チッチ、ルービックキューブ完成!

二日ほど、用事で家を空けていて、昨日の夜、子どもが寝た後に帰ってきた私ですが、今朝、まだ寝室にいる私にチッチが「ねえねえ、出来たよー。」と完成したルービックキューブを持ってきました。

rubik's cube

 ついに完成したか!というわけで記念写真を撮りました。

 実はここまで来るまでにはいろいろな苦労がありました。チッチが友達が持っていたというルービックキューブに関心を持ち始めたのは数ヶ月前。はっきりとは覚えていませんが、今年に入ったばかりの頃ではなかったでしょうか。そしてチッチはお小遣いをはたいて、ルービックキューブを買いました。ところが、予想はしていましたが、そんなに簡単に出来るものではありません。一時期は外へも持って行ってやっていたこともありました。1面はなんとかそろえるのですが、そこからが難しいと思っていたら、テニスクラブで会った子が15分ぐらいで6面完成させてしまったのだそうです。でも自分がやろうと思っても上手く行かず、イライラしたりがっかりしたりしている様子だったので、私がインターネットで、やり方を紹介しているページを見つけ、印刷して渡してみました。これでちょっとは進むかと思ったのですが、詳しく説明してあるように見えた説明もやってみるとその通りにはいかず、またもや壁にぶつかってしまいました。ちょっと出来かかると大喜びの大得意、壁にぶつかると怒り始める、というようなことを繰り返していました。「難しすぎる!出来ない!」と怒ったり泣いたりしているチッチを見て、おもちゃとは言え、このままあきらめるのは良くない気がしましたし、やはりインターネットの情報では無理かと思い、「本を参考にしてはどう?」とチッチに持ちかけてみました。そしていろいろ探して見たのですが、フランスには、ただ6面完成するだけなら出来るがもっと早く完成させたい人向けの本しか見あたらず、ネットの情報によると、その本は初心者には理解不能とのことで、日本語の本を探してみました。そして見つけたのがこの本、「ルービックキューブがだれでも出来る本」です。


ルービックキューブがだれでもできる本 (TJ MOOK)

小学生でも出来ました、みたいなコメントもあり、「誰でも出来る」とあるので、日本語が難しいかも、とは思いつつこれにしました。届いた本を見るとなるほど丁寧に解説されています。漢字が多いので最初抵抗を示したチッチも図を見れば分かると気が付き、すぐ喜んで取り組み始めました。

 これさえあれば楽勝!のように最初は見えたのですが、まず本のルービックキューブとチッチの持っているルービックキューブが色の配置が違っていて、カラー刷りの図をそのまま解釈できないことに気が付き、それでもなんとかやっているとあるところから、本の通りにならないことが分かり行き詰ってしまいました。それどころか、上手く行きかかっていたのに、本の指示通りにしたら全部壊れてしまったこともありました。そんなことがある度にCe livre de merdes!(この本の糞ったれ!)と悪態をついたり泣いたり、といろいろ大変でした。それでもしばらくして気を取り直して再挑戦、というようなことを繰り返していました。それからチッチはフランス語で動画もついている説明サイトを見つけ、それも参照していました。でも、それでも出来ないんですよ~。「世の中、そんな簡単なわけないじゃない。難しいから価値があるのよ~。誰でもすぐ出来たらつまらないでしょ。」とか慰めにもならないことをチッチに言っていました。

 6面完成まであと一歩まで行くのですが、最後の一歩が出来ずいじっている間に、全部ばらばらになってやり直し、ということが続いていたようです。嫌になってやめたり、本や、サイトからのプリント、ビデオつきサイトなどの資料を参考に気が向いた時にまたやったりしていました。

 一向に完成の兆しは見えなかったのですが、昨日の朝、遂に完成したそうです。私が留守だったので見せられるように、完成後いじらずに置いてあったのを見せてくれました。チッチによると最初のほうは日本語の本の説明にあったやり方を用い、最後のほうはフランス語のサイトの動画を見てやった、と言っていました。

 記念撮影の後、待ちかねていたようにまたバラバラにして、再挑戦していましたが、考え方が分かったそうで、30分ぐらいでまた6面完成していました。今度はもっと速く作れるように技術アップしていきたいとのことです。本のスピードアップの説明が使えそうですし、チッチの見つけたサイトにも説明があったそうです。あきらめずに頑張り続けて良かったね、チッチ。

 ちなみに私は、大昔に1面完成した記憶がありますがそれ以上は無理でした。今はチッチが見ている本の図解すら見るのが面倒で、理解するために努力する気にもなれません。くるくると手早く回すチッチの熟達した手つきを見てとてもかなわない、と思っています。

 ルービックキューブはフランスではRubik's cube、リュビックスキューブ、と呼ばれています。

追記 今日(6月2日)までに、6面を5回ほど完成させましたが、チッチは今朝 ça sert beaucoup, ton livre (お母さんの本、すごく役に立っているよ。)と言っていました。完成しそうなのだけど出来ない、というときに、同じパターンがないか調べるのに使いやすいと言っていました。それからアルファベットの連続のような暗号(チッチはcodeと言っていて正に暗号です。)で動きを記述する方法が書かれているのですが、この記述法はインターネットのサイトでも見られる国際基準的な記述法のようで、この本で記述法を理解して他のサイトの参照が簡単になった、暗号を書き留めて覚え、本を見なくても作れるようにする、などいろいろな使い方があるようです。こうなったときはこのやり方、などメモしていました。こんなものを妙に一生懸命やっているところが可笑しくもあり、可愛くもあり、という感じです。

 

庭の牡丹

 もう2年半ぐらい前になりますが、庭の片隅に牡丹を植えました。華やかな花が欲しいと思ったのと、牡丹は土壌に合えば1世紀ぐらい花を咲かせる、というのを読んだからです。毎年植え替えるとかは面倒なので、一度植えれば長年続く花が好きなのです。肥えた土壌が好き(ゴージャスな花らしいです。貧しい所は似合いません。)というのも読んだので、肥料をまぜた肥えた土を用意して植えました。
 
 ところが、植えた後で知人から教えられたのは、牡丹が花を咲かせるのは2年に一回だということでした。これは計算違いだったのですが、仕方ありません。花を咲かせることなく二夏を過ごしましたが、先日、初めて花を咲かせました。



 植えてから時間が経っているので何色の牡丹だったのかも定かではなく、なんとなく薄いピンクだったように思っていましたが、ご覧のように、いわゆる牡丹色でした。つぼみを見たときは、牡丹にしては小さめに見えたのですが、花開いたら直径12-3cmの大輪でした。とても良い香りがします。切花にすると良い、と書いてあったのを思い出し、早速一輪挿しにしました。まだ花はあと二つあります。今年は全部で3つで終わりのようですが、再来年もっとたくさん咲くかもしれません。

 随分長い間待ちましたが、立派な花をつけたので満足しました。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はゆりの花、と言いますが、昔は「美人」と言えば楚々とした美しさではなく、堂々として存在感のある華やかな美しさだったのですね。

 長女ののえは大輪のバラが好きなのだそうで、牡丹を見てすぐ気に入りました。色も形も香りも好きだそうです。小さい花より、大きくて派手な花が好き、と言っていました。

 それで、2年に一回しか咲かないので毎年咲くように、もう一つ違う色の牡丹を植えようか、と話し合っています。でも園芸の本によると、牡丹は近くに牡丹を植えられるのを嫌うらしく、一人で咲くのが好きなのだとか。(これも艶やかな美人らしい好みですね。)日当たりの関係で植えられるところは限られており、どこに植えようか思案中です。ただ、今年植えると2年半後に咲くとすると今年の牡丹と同じ時に咲くわけで、植えるのは来年かな、と思っています。

 牡丹はフランス語では、pivoineです。

追記 今日(5月31日)、イギリス人の知人がうちに来て、庭の牡丹に気が付き、花の話になりました。私が日本では芍薬と並んで美人のイメージと結びついているというような話をすると、イギリスでは芍薬はお城とかに咲いている花で、牡丹(英語ではpionyと言うと教えてくれました。)は田舎の古い家の庭に咲き乱れているイメージがあり、にんじんとかじゃがいもとかを植えたりしている田舎のおばあさんのイメージと結びつくのだそうです。「美人」とはちょっと違いますね。

常任指揮者の採用試験

 今日、リヨン国立管弦楽団の常任指揮者の第3次選考、つまり最終選考があり、それにのえが行っていました。といっても、指揮者になるためではなく、選考のための実技試験のオーケストラの一人として参加したのです。リヨン国立管弦楽団の若者向けの活動の一つに若者によるオーケストラがあり、それにのえがバイオリニストとして参加しているというのことは、前に書きましたが、今回の常任指揮者の採用に当たって、書類選考のあと、1次選考があり、最終はのえたち若者オケの指揮を見る、というテストなのでした。候補者は二人だったとかで、一人目の男性の指揮でシューベルトやモーツァルトの曲をやり、「絶対この人がいい!」と思ったそうですが、二人目は女性で、この人の方が態度がプロらしく指揮も分かりやすくいいと思ったんだとか。審査員たちから印象を聞かれたので、「この人の方がいい。」という言い方ではなく、具体的にいいと思った点を話した、と言っていました。

  そして今までも楽屋ですれ違ったことがある音楽監督の
ジュン・メルケルが来ていて(最終選考なので当然ですよね。)、挨拶をし、コンサートマスターのMくんのすぐ隣に座っていたのえとも握手してくれたのだとか。終わったときもお礼を言いに来てまた握手したので「2回握手したよ。」と言っていました。

 家に帰ってきて、「あの女の人が選ばれるといいな。」と言っていましたら、オーケストラから連絡をもらったMくんから電話があり、最初の男の人が選ばれたと聞き、ちょっとがっかりしていました。

 それにしても常任指揮者の選択に、アマチュアのオーケストラを使うとは、なかなか斬新なやり方なのでは、と思ったのですが、今年までの任期の指揮者は4月にのえたちとコンサートもしましたが、ジュン・メルケルのお墨付きで任命されたので試験がなかったそうで、このような試験は久しぶりだとのことでした。召集の手紙に「あなたがいいと思った指揮者が採用されるかもしれないので、試験に協力をお願いします。」と書いてあり、のえは大喜びで出かけていったのですが、連休なのに総勢80人の若者オーケストラのうち50以上も集まっていたそうです。みんな楽しみにしていたんですね。

 のえも地元の国立管弦楽団の人事に微力ながら協力できて嬉しかったみたいです。粋な計らいですよね。

カルフールの広告に思う。 フランスのサッカーチームの活躍や如何に。

 どこの家庭でも同じかと思いますが、我が家でも毎日のように、郵便受けにさまざまな広告が入ります。お店の広告には分厚いカタログのようになっているものもあり、いろいろな製品の大体の値段なども分かりますので、休憩時にパラパラと見ることがあります。

 このような毎度受け取る広告類の中に大手スーパーCarrefour カルフールのテレビの広告がありました。冊子になっていて、いろいろな機種のテレビの写真が値段や機能の説明とともに出ています。(この広告はカルフールのサイトで見ることが出来ます。興味のある方はどうぞ。→こちら。)この広告が目を引いた理由は、表紙に、

Votre téléviseur 100% remboursé (あなたのテレビ、100%返金します。)

と書いてあったからです。つまり無料?そんなことってあるでしょうか。そこで条件を見ると、(フランス語でどういうのか確認したい方はサイトの広告のページをめくってください。)

94cm以上のテレビを購入し、フランスチームがワールドカップの準決勝に進出した場合、25%返金、決勝進出の場合、50%返金、優勝した場合は、100%返金、ということだそうです。

Si les bleus gagnent, vous gagnez aussi ! (レ・ブルーが勝ったら、あなたも得します!、レ・ブルーというのはフランス・ナショナルチームの愛称です。ユニフォームが青いので青組ということですね。)

 サッカーファンなら、テレビを買って応援したくなるキャッチフレーズかもしれません。
ですが、私は特別サッカーファンというわけでもないので、いたって冷静・・・。こんなキャンペーンを張るということは、やっぱり世間的には今年のフランスチームはせいぜい準決勝、でもそれも多分難しい、と思われているのではないか、と思ってしまいました。(サッカーファンの方、ごめんなさい。)サッカーについて詳しく知っているわけではありませんが、ワールドカップの参加権をぎりぎりで手にしたという話は聞いていますし、1998年にワールドカップで優勝して盛り上がりましたが、次のワールドカップではいきなり一回戦で敗退、となって「前回は奇跡だったのか?」というファンの声が上がっていたのを覚えています。

 この広告を見た翌日、ラジオのニュースでレイモン・ドメネク監督が、チームメンバーのプレセレクションとして30名のリストが発表し、物議をかもし出しているらしいことを聞きました。何でも人気選手、有名選手で入っていない人が多く、無名な新人が入っているらしいのです。怪我などで欠場が多い、人気はあるけどこの頃のパーフォーマンスに見るべきものがない、などそれなりの理由はあるらしいのですが、ファンとしては納得できないと思った人も多かったようで、たまたま付けたラジオ局では長時間この話で持ちきりで、ホットラインにいろいろな人が電話してきて口々に

Je ne comprends pas. (分からない。)

と言っていました。5月20日月曜日にこの30人をさらに24人に絞った最終メンバーが発表されるそうです。ルモンドの記事はこちらです。→ 
Equipe de France : une liste presque définitive sera dévoilée lundi

  スポーツ新聞 l'équipeには、当然30人に選ばれると思われていたのに、選ばれなった選手のインタビューが出ていました。怪我も欠場もしていないし、所属チームの成績だって良い、努力してきたのに、なぜ?24人に残るのは難しいのは分かるが、最初の30人にも入っていないのには大変失望した、という談話が載っていました。(記事は→こちらです。)数は少ないですが、監督の英断として褒めている意見もルモンドのサイトありましたので、みんながみんな反対ということはないのでしょうが、意外にもメンバーになれた選手がいる反面、選外となってしまった選手もいて、ファンも一緒に悲喜こもごもというところでしょうか。

 さて、フランスチームの活躍はどうなるのでしょう。あまりすぐ負けては、テレビを買った人がつまらないですし、かと言って優勝してもカルフールが大損になるような・・・(私はカルフールの回し者ではありませんが)。保険とかかけてあるのでしょうかね~、万が一ってこともありますし・・・。



Appendix

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プロフィール

まゆの

Author:まゆの
フランスに住み始めて早17年。2003年からリヨンの郊外に住んでいます。フランス語に限らず語学や語学学習にはいつも関心を持っています。フランス生活についても、個人的な視点で書いていこうと思っています。家族はフランス人の夫プー、長女のえ(19歳)、長男チッチ(15歳)次女奈々(10歳)の5人、プラス2007年8月23日から飼い始めたうさぎのクッキー。

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